亡きあとについてグイグイ話す医師の戦略は結果オーライ もめない介護130
編集協力/Power News 編集部
最近、東京・三鷹で「シニア向けスマホ相談室」を始めました。ボランティアで参加してくれているサポートメンバーと一緒に、「スマホに関する“よろず困りごと”を一緒に考えます」という地域活動です。半分フィールドワークのつもりでスタートしてみたところ、やはり高齢の方の暮らしぶりや思いは知らないことばかり。ハッとさせられることに次々出会います。
「電子マネーを危うく不正使用されそうになったの。もう怖くて、怖くて……。スマホを開いてアプリを目にするたびに、ゆううつな気持ちになるから消してもらえないかしら?」
不安を訴えるアキエさん(仮名)は80代のチャーミングなマダム。「いやになっちゃう」「分からない」と繰り返しつつも、「おかしなメールが届いた」と思った時点で、契約している大手携帯電話キャリアのショップに連絡。詐欺メールであることを確認し、事なきを得た後、今後トラブルに巻き込まれないよう、当該サービスを解約するなど、的確な対処をされています。
しかも、「ぜんぜん分からないの」と言いつつ、スマホとタブレットを使いこなしてもいるのです。ただ、アキエさんが言う「分からない」はあながち、謙遜でもありません。よくよく聞くと、スマホやタブレットは息子さんが購入し、アプリやパスワードもすべて設定。アキエさんは何がどうなっているのかよく分からないまま、スマホを使っていたそう。
ちょっとした困りごとが、外に助けを求めるきっかけに
息子さんが近くにいるうちはすぐ助けてもらえるので特に困ることもなかったのですが、遠方に転勤になってしまってからが、さあ大変。何かの拍子にパスワードの再入力を求められるたびに、「どうしたらいいかわからない」「ダマされてるの!?」とヒヤヒヤ。おっかなびっくりの毎日を過ごすなかで、スマホ相談室のお知らせを見つけ、思い切って訪ねてきてくれたと聞きました。
家族が頼りになる。子どもや孫たちによる手厚いサポートが期待できる。それ自体は幸せなことです。でも、家族だけに頼りきってしまうと、何かの事情でサポートが手薄になったり、途絶えたりした途端に、たちまち困ってしまいます。ただ、この困りごとも悪いことばかりではなく、ちょっとした困りごとがあるからこそ、家族以外に助けを求めてみようと一歩を踏み出すきっかけにもなるのだろうとも思うのです。
これまで夫婦二人で暮らしてこられたのは
義父母がともにアルツハイマー型認知症だと診断されたころ、もの忘れ外来で医師に言われたことを、アキエさんとおしゃべりしながら思い出しました。
「これからはご家族はもちろん、ヘルパーさんや看護師さんなどさまざまな方の力を借りましょう」
医師がやんわりと介護サービスの利用を促すと、義母はムッとして「でも先生、困っていないんです。主人が助けてくれますから」と即答。義父は難しそうな顔で黙り込んでいました。
「これまでは“ご主人の頑張り”のおかげで、夫婦ふたりだけで誰にも頼らず暮らしてこられたかもしれません。でも、これからは周囲の方に助けてもらうことに慣れることも大切です」
「でも……」
食い下がる義母に、主治医の先生はサラリと言いました。
「だって、ご主人はいずれ奥さんより先に亡くなる可能性が高いですよ。女性のほうが長生きですから。ねえ、ご主人?」
「まあ、そうですな」
義父が同意すると、義母も「それはまあ、そうですけれど」と、うなずいています。
義父亡き後の話をグイグイ続ける主治医
ええ!? そういう話の展開? いきなりグイと踏み込んだ医師の切り込み方にも、平然と受け答えをしている義父母のリアクションにも驚くばかり。ギョッとしながら聞いていたら、今度はこちらにボールが飛んできました。
「お母さんにとっては今のまま『お父さんに言えば何とかなる』という生活がラクかもしれません。でもこのままいくと、お父さんが亡くなったときに、生活の変化を受け入れられなくなる可能性が高いでしょう」
義父が死んじゃう想定の話がまだ続いている……! 隣で聞いている義父母がどう感じるのか気が気ではありませんが、主治医は特に気にする様子もありません。
「お父さんが亡くなったとしても、それを認めず、姿を探し回るといったことも十分考えられます。また、独り身になったところで介護施設に入ったとしても、お世話されることにあまりに不慣れな状況からいきなり環境が変わると、なじめない可能性も高いです。
お父さん、お母さんのように自尊心が高い方々は、他人の世話になることに対するストレスから問題行動を起こして施設にいられなくなってしまうというケースも珍しくないんです。とにかく少しずつでもいいので、日常的に“お世話されること”に慣れる必要があります」
介護サービスに消極的だった義父母も
先生! わたしは積極的に介護サービスを入れたいと思っています!! 家族だけで全部お世話をしようなんて夢にも思っていません!!! そもそも、わたしは娘ではありません。向こうに座っているのが、この人たちの息子です!!!!
内心そう思いながら、「はあ、そうですね。介護サービス、ぜひ入れたいですね」とリアクションするのが精いっぱい。いまになって思うと、わたしたちに説明するテイで義父の背中を押してくれたのかなとも思いますが、それにしても、こってりと脅かされました。
あの説明スタイルが万人に合うのかどうかはわかりませんが、少なくとも我が家の場合は、プラスの方向に向かったように思います。
義父母、特に義母は訪問介護(ホームヘルプ)や訪問看護を始めとする、さまざまな介護サービスの利用には消極的でした。
介護認定調査は「意味が分からない」、訪問介護は「必要ない」、宅配弁当は「自分で作るほうが豪華」と言われました。でも、「(介護認定調査は)80歳以上の住民全員のところにやってくるんです」と説明すれば、「あら、そうなの」と受け入れ、ヘルパーさんがくれば喜々として出迎えてもいました。宅配弁当は紆余曲折ありつつも、毎日の夕飯として大活躍することに。
すっかり日常に溶け込んだ介護
もの忘れ外来で言われた主治医の説明が、どれぐらい記憶に残っていたかはわかりません。案外、義母はきれいさっぱり忘れてしまっていたのかもしれません。でも、義父は「自分がいなくなった後、妻が困らないように」ということが頭の片隅にあったような気もします。
訪問介護から訪問看護、宅配弁当、通所リハビリ(デイケア)、訪問診療に訪問歯科……と、さまざまな介護サービスを利用するなかで、義父母は介護・医療の専門職の方々とのかかわりに慣れていきました。
義父の低栄養がのっぴきならない状況になり、“一時療養”という名目で施設入所を決めたころには、ふたりともすっかり「介護」が日常に溶け込んでいました。ただし、それは相手にすべてをゆだねて“お世話される”という類いのものではなく、「苦手なことは任せる」「必要に応じて適宜、手を借りる」といったスタンスです。必要以上にへりくだることはなく、ふんだんに感謝の言葉を口にする。その頼り方が抜群にうまく、驚かされてばかり。
もともとの性格もあるのでしょうが、家族がすべて先回りして困りごとを徹底的に解消してしまっていたら、あの義父母のコミュニケーション力が発揮される機会はなかったかもしれません。施設入所後に、義母に「家に帰りたいんだけどね。ここ(施設)の暮らしも悪くないの」と耳打ちされることも、なかったのではないかと思うのです。