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認知症で世渡り上手 失望しないコツは「名乗る」こと もめない介護128

踏切
コスガ聡一 撮影

「おかあさん、お久しぶりです」
「あらあら、ようこそいらっしゃいました。ご家族のみなさんはお元気?」

施設で暮らす義母は会うとたいてい、開口一番にこう言います。ニコニコと出迎えてくれるけれど、「真奈美さん」と名前を呼ばれる機会はここ1年の間に、ずいぶん減ったような気がします。

でも、完全に忘れてしまったかというとそうでもなく、夫の仕事が重なって一緒に行けなかった日には「達也は来ないの?」と、さらっと名前が出てきます。不思議なもので、その場にいない人の名前を聞くほうが多いくらいです。

なんとなく顔は知っている気がするけれど、名前が出てこない。
名前はわからないけれど、わかったような態度でその場をやりすごす。

そんな気配を感じる機会が増えてきたこともあって、義母に会った時は「自分たちから名乗ろう」と、夫と相談して決めました。一方、「わたし(俺)が誰だかわかる?」という問いかけはなるべくしないようにしています。それはかつて、認知症の祖母が、娘(わたしの母親)に「誰だかわかる?」と聞かれた時の戸惑ったような、困ったような笑顔が忘れられないからです。

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ある時は「孫のことは覚えているんだ」と喜び、ある時は「孫のことも忘れるのか」と失望する。母親のそんな姿を見るのもイヤでした。母は、祖母に対して複雑な思いを抱きながら、仙台から静岡に通い、遠距離介護を続けてきました。そのことを知っているだけに強く止めることもできず、「やめておけばいいのに……」と冷ややかに傍観していただけの自分が、いちばんイヤだったのかもしれません。

相手が誰だか分からなくても饒舌至極のパーティートーク

幸い、夫は「おふくろ、俺が誰だかわかる?」と強く食い下がって、確認するようなタイプではありません。
義母に、年の離れた弟(義母自身の弟)と間違われ、「あなたも一緒に行ったんだっけ? ほら、戦争で疎開したあの街よ」と話を振られても、素知らぬ顔で「どうだったかなぁ」と答えるぐらいの腹芸もできます。親に忘れられたと嘆き悲しみ、大騒ぎすることもなく、「いつかはそういう日が来ると思っていたけれど、いざ来てみると寂しいものだなあ」と、しみじみとつぶやく程度です。

介護が始まったばかりのころは、その冷静な落ち着きぶりが冷酷さに見えて離婚を考えたこともありました。でも、いまは義母のどこまでも前向きな気質とともに、夫のやや憎らしいぐらいに落ち着き払った態度に救われています。

そんな夫と決めたルールは2つ。

  1. 「誰だかわかる?」と質問しない
  2. 義母に聞かれなくても、自分から「長男の達也です」など、名前と続柄と名乗る

たったこれだけのことなのに、いざやってみるとなかなかタイミングがつかめません。というのも、義母は私たちのことを「息子夫婦」と認識できている日も、そうではない日も、何事もなかったように振る舞います。けげんそうな顔をもしないし、「どなた?」とも聞きません。相手が誰だか分からなくても、名前が出てこなくてもしれっと会話を続ける「パーティートーク」が、舌を巻くほどうまいのです。

「ヒント!」

先日、もの忘れ外来の往診付き添いで義母に会った時のことです。義母は夫が座っているソファのほうに視線をやりながら、にっこり笑ってこう言いました。
「こちらは、同窓生の方だったかしら?」

主治医の先生が重ねて、「こちらの男性がどなたか分かりますか? どういったご関係ですか」と尋ねると、義母は「あら、やだ」と照れたように笑います。

ちょうどその時、夫はマスク姿でノートパソコンに向かっていました。飛沫を飛ばさないよう、黙ったまま、そっとマスクを外し、顔がよく見えるようにしてみましたが、義母のリアクションは変わりません。そこでもう一度、主治医の先生が「こちらの男性がどなたか分かりますか?」と同じ質問をすると、義母は人さし指を振りながら叫びました。

「ヒント!」

一瞬、何を言われたのか分からず、私たちが顔を見合わせていると、義母がおどけたジェスチャーをしながら、「もう少し、ヒントをちょうだい」と言います。主治医の先生も苦笑いしています。続いて、わたしの番です。

朝食や昼食が思い出せない義母は、子育ての真っ最中

主治医の先生が「こちらの女性は分かりますか?」と尋ねると、義母は「なかなか難しい問題ね」と笑っています。主治医に目配せされ、「真奈美です」と名乗ると、「あら、あなたの名前はよく聞くわ!」と義母。名前は出てこないけれど、“ああ言えば、こう言う”は絶好調なのです。

この日の医師とのやりとりによると、義母はここのところ「子育ての真っ最中」という時間軸にいるようです。

「楽しいことはなんですか?」
「とにかく、子どもたちがまだ小さいので忙しく過ごしています」

「食欲はありますか?」
「それなりにあるとは思うんですけど、子育てが忙しいと、つい自分のことは後回しになりますね。今日の朝食や昼食に何を食べたのか……覚えていられないんです」

朝食や昼食が思い出せないのはおそらく、「現在の義母」なのでしょう。それがスルリと自然に発言のなかに混ざり込んできます。

そうこうしているうちに時々、時間の針がひょいと現代に戻ってきたのか、義姉と先週会ったという話が始まったりもします。新型コロナの感染対策で「LINE面会」になっているので、“リアルに会った”というのは義母の記憶違いなのですが、義姉との会話の内容はかなり正確です。義姉の名前もパッと正確に出てきます。

仕事と介護の両立を支えてくれる、義母のプライド

亡くなった一番上のお姉さん(夫の姉)の名前もスラスラでてきました。もしかしたら「子育て中」というのは“夫が生まれる前”で、ふたりの娘を育てている時期なのかもしれません。タイムトラベラーのようにたくさんの時間軸を行ったり来たりしながら、義母の時間は流れていきます。

コロナ禍のなか、家族の面会が許されているのは約15分間。それは、もの忘れ外来の往診付き添いであっても同じです。

わたしたちが施設から帰ろうとする時、義母の表情はほんの少し曇ります。それが寂しさなのか、「まだ一緒にいたい」あるいは「自分も帰りたい」を意味するのかはわかりません。

でも、「おかあさん、ありがとうございました。これから仕事に戻ります!」と声をかけると、キリリとした表情に変わります。

「仕事はね、マイナスにならないことが大事よ。頑張りなさい! でも、くれぐれも無理はしないようにね」

こぶしを振り上げ力強いエールを送る義母に、思わず吹き出す夫。施設の職員さんも笑っていました。さすが義母上! この義母の“ワーママ”としてのプライドは、さまざまな記憶が薄れてもなお失われることなく、むしろ鮮明になっているのを感じます。そしてそのプライドもまた、私たち夫婦の仕事と介護の両立を支えてくれている大切な要のひとつだと、改めて実感した出来事でした。

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