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大賞受賞者の新作!染みついた手仕事と父子のうつろい 梅雨に読みたい物語

梅雨のシーズンに咲き誇る紫陽花

なかまぁるは、認知症フレンドリーな取り組みが社会にさらに広がっていくことを目指し、「なかまぁる Short Film Contest」を開催しています。昨年、ショートストーリー部門「SOMPO認知症エッセイコンテスト」で大賞を受賞したウダ・タマキさんに、エッセーを寄せてもらいました。

梅雨の追憶

「仕事、行ってくるわ」
 
そう言って両手に軍手をはめると、右手でひょいと首にタオルを掛け、左手で色褪せたキャップを頭にちょんとのせる。
ある時から、それが親父のお決まりの行動になったそうだ。

「まぁた、はじまった」

お袋のため息混じりの言葉が宙を舞う。その気持ちは分かる。毎日、同じことを繰り返されたらストレスがたまるのは仕方ない。

「はいはい、今日は雨で仕事無くなったってさ」
玄関へと向かう親父を追いかけながら、お袋が声をかけた。
「なぁんだ、そんな連絡があったのか?」
「ええ、朝から電話があったのよ。ほら」
玄関の引き戸を開けると、庭に咲く雨に濡れた紫陽花が顔を見せた。
「ったく……」
親父は大きな舌打ちをした。手から外した軍手を揃え、手際良くクルッと裏返すと一つにまとめてキャップの中に放り込んだ。

あっ、子どもの頃、その軍手のボールと新聞紙のバットでよく野球したな

咄嗟(とっさ)にそんな記憶が蘇った。
雨に行く手を阻(はば)まれた親父がリビングの窓辺で所在なげに立つ。どんよりと暗く沈んだ空を見上げるその背中が小さく見えた。

親父はずっと大工の仕事をしていた。十代後半から七十前まで、数十年間ずっと大工という肩書きで人生を歩んできた。
まさに職人気質の親父は怖くて、厳しくて頑固だったけれど、それ以上に優しくもあった。

そう、人間味に溢れた男―

時に大声で怒り、時にガハハハと大笑いし、そんな豪快な性格かと思えば、大きな声を出して泣く姿を見たこともある。まるで子どもがそのまま大人になったような男だった。
 
 
年老いた親父が行き場を失い、右腕を枕に壁を向いて横になっている。
「いつも、あんな感じか?」
「そうよ。で、たまに起きたかと思うとさっきの調子よ。いつもは近所を歩いて気を紛らわして帰って来るんだけど……梅雨だからねぇ」
お袋がグラスをテーブルに置く。その衝撃に積み重なった氷が「カラン」と音を立てて崩れた。
「何か、考えてみるわ」
「悪いけど、お願いね」
「ああ」と偉そうに言ったけれど、考えるって……何を? すぐに自問自答する俺がいた。よく冷えた麦茶が、いつもよりやけに胃に染みる感じがした。

お袋の手前、冷静に振る舞った。が、あの親父の後ろ姿を見た俺は胸が痛かった。親父が親父じゃなくなってしまったような気がして……そう考えると寂しくもあり、悲しくもあり、そして、そんな複雑な感情がうごめく俺は、四十を目の前にしてもやっぱり親父の息子なんだなって感慨深くもあった。

夜になって布団に入り、目を閉じて考えていた。若くて元気だった頃の親父のこと、親父の生きる上で大切な道しるべは何だったのだろうか、と。

「偉い人にも大金持ちにもならんでいい。人が喜ぶことをしろよ」

親父は酒に酔うと硬く大きな手で幼い俺の頭を撫で、よくそう言った。

人が喜ぶこと、か

後日、息子とともに実家を訪ねた。
「じいちゃん、じいちゃん!」
「おぉ、どうした、健太」
「じいちゃんは大工さんだったんでしょ?」
「ああ、そうだ。日本一の大工さ」
親父の目尻に深いシワが浮かび上がった。孫の健太にはめっぽう甘い。
「作ってほしいのあるんだ! あの、えーっと……父ちゃん、なんだっけ」
「本棚、だろ?」
「そうだ、ほんだな! 来年小学生になったら教科書入れるんだ!」
「本棚か、そんなの朝飯前だ」
それは久しぶりに見た親父の表情だった。自信に満ちた顔だ。
お袋は心配していた。できるはずなんてない、金槌で指を叩いて怪我でもするんじゃないかと。「大丈夫だって」と軽い調子で言った俺が本当にそう思っていたかというと、そんなことはない。お袋と同じ気持ちだったし、もし親父が大工仕事を忘れてしまっていたら……そんな親父の姿を目の当たりにするのは怖くもあった。だから、手を貸しながら一緒に作ろうと考えていた。

「そんなへっぴり腰じゃダメだダメだ」

心配は無用だった。どうやら俺の出番はなさそうだ。
親父は親父のまま、変わらなかった。
金槌が釘を叩く音、ノコギリが木を切る音、鉋(かんな)が面取りをする音。作業場に響く音の全ては手際良く、力が漲(みなぎ)っていた。
「健太、ここ押さえててくれ」
「うん」
「しっかり力入れるんだぞ」
「こう?」
「そうだ、いいぞ」
こうやって俺も親父に育てられたんだ、なんて懐かしいおがくずの香りを感じながら、しみじみとその様子を眺めていた。

「うぅぅん、じゃあ、次はイスをお願いするかな」

自宅に戻ると、早速、かかってきたお袋からの電話に俺はそう答えた。親父が健太のために何か作ってやると意気込んでいるそうだ。
「仕事行くって言わなくなったし、生き生きしてるけど……怪我しないかしら」
相変わらずお袋はお袋だ。そんな心配ばかりしている。
お袋には申し訳ないが、俺は密かに考えていた。木製のパソコンデスクなんて渋くて良いな、なんてことを。
大工仕事を再開した親父のもとに息子と通う日々が始まった。 
軍手を丸めたボールを親父が投げた。新聞紙のバットが空を切る。
「じいちゃん、速いよー」
「親父、少しくらい手加減してやれよな!」
「すまんすまん!」
親父のガハハハと豪快に笑う声は、作業場のトタン屋根に打ち付ける雨音さえもかき消した。
幼い頃、梅雨になると親父はよく「現場に行けない」と嘆いていた。だけど……親父、俺はこの季節が好きだった。学校から帰ると作業場に親父がいて、こうやって一緒に遊ぶのを楽しみにしていたんだ。

ウダ・タマキさん
ウダ・タマキ
三重県出身、関西在住。2003年より介護関係の仕事に就き、ホームヘルパーを経て現在は居宅ケアマネジャーとして働いている。単身者の多い地域において多様なニーズに対応できるよう三福祉士の国家資格を取得後、働きながら大学院へ通い社会福祉学修士号を取得。

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