訪問看護の漫画「良い言葉を削った」著者と編集者が語る制作秘話(前編)
取材/小野ヒデコ 撮影/片山菜緒子
なかまぁるで連載中の「今日は晴天、ぼけ日和」の著者、高橋恵子さんが漫画『家でのこと』(医学書院)を出版しました。物語の舞台は「訪問看護」。介護福祉士ではあるけれど、看護師ではない高橋さんが描き上げることができた背景には、「力丸(りきまる)さん」と呼ぶ担当編集者の金子力丸さんとの信頼関係がありました。インタビューでは、お互い“初耳”の話も飛び出す中、二人三脚で駆け抜けた執筆当時の裏話を聞きました。
「この人に断られたら企画が成立しない」
2020年1月から、医学書院の月刊誌『訪問看護と介護』の巻頭カラー6ページで、訪問看護が舞台の漫画の連載が始まりました。若年性認知症、ヤングケアラー、ユマニチュード(フランス生まれのケア技法)など12のテーマで綴られたショートストーリーです。その連載をまとめた漫画『家でのこと―訪問看護で出会う13の珠玉の物語』が、今年2月に単行本化されました。
この企画を生み出したのは、医学書院看護出版部の金子力丸さんです。「漫画×訪問看護」の掛け合わせは、元々、漫画の制作に興味があったことと、『在宅無限大―訪問看護師がみた生と死』(医学書院)の本を読んだことで思いついたと、金子さんは振り返ります。
「『在宅無限大』の著者は、数多くの訪問看護師や往診医を取材し、在宅医療についてのフィールドワークをしている村上靖彦さん(大阪大学大学院人間科学研究科教授)です。在宅医療現場における、訪問看護師たちの“語り”に対する村上さんの見解が書かれているのですが、それを元にオリジナルのストーリーを作れないかと考えました」
イメージに沿う絵が描ける人を探していた時、1枚のイラストが目に留まりました。それは、なかまぁるで高橋恵子さんが連載している「今日は晴天、ぼけ日和」の記事の一コマでした。
「1人の老婆のイラストだったのですが、リアルで且つ美化されていない。認知症の『核』が描かれていると思い、この人にお願いしたいと即決でした。同時に、この人に断られたら、この企画自体が成立しないとも思い、緊張しながら恵子さんに依頼文を書いたところ、結果的に “慇懃無礼”なほど丁寧なメールになってしまいました(笑)」(金子さん)
「力量不足で、お断りしようと思った」
当時の金子さんの心中を聞き、「初耳です。もし、最初にそれを言われていたら逃げていたと思います」と目を見張って反応したのは、高橋さん。
2019年の4月、突然、金子さんから丁寧過ぎるメールを受け取った時の率直な感想は、「私には無理」だったと言います。
「光栄な気持ちはもちろんあります。でも、“医学書院”というブランドの重みをプレッシャーに感じたのと、当時は6ページも描いたこともなければ、訪問看護師の知識もない。私では力量不足だと考え、お断りをしようと思っていました」
それでも、高橋さんは結果的に連載を受ける決断をしました。その背景は『家でのこと』のラストにも描かれていますので、本を読んでのお楽しみに……。「実は、決め手になったことがもう一つあって……」と高橋さんは切り出しました。
「力丸さんと初めてお会いした時、私がアートワーク(芸術療法をもとにしたプログラム)をしていることや、私の親友が働いている福祉施設「スタジオクーカ」(神奈川県平塚市)の話をしたら、力丸さんがその日のうちに、施設のアトリエとカフェに行かれたんです」
すると、その後にクーカの方々から高橋さんの元に、「力丸さんいいよね」「力丸さんどうしてる?」と連絡がきました。さらには、気を使ってそっと立ち去った金子さんに対して「なんで俺に挨拶もしないで帰っちまったんだ!」と抗議のメールまでも届きました。その言葉には、「力丸さんの顔を最後に見たかったのに」という寂しさや残念な気持ちが滲み出ていたと高橋さんは言います。
「みんな、力丸さんのことが大好きで、どうにかして話したがっている気持ちが伝わってきました。その時、この人は信頼できる方だと感じました。何があっても、いっしょにやっていけると思ったんです」
その話を聞いた金子さんの口からは、「そうだったんだ……」という声が漏れました。
「演劇」と「絵コンテの描き方」が生きた
連載12回分のテーマは最初から金子さんの中で決まっていたものの、物語の構成など具体的な内容については同じ看護出版部の仲間と膝を突き合わせて、案を出し合ったと言います。
「みんなで持ち寄った話から、台詞(せりふ)を考えて構成を書いたことも。恵子さんには、ト書きまで記した詳細な台本を渡すこともあれば、『この言葉から何とかして』と大まかなイメージだけ伝えたこともありました」
それらを受け取った時のことを、高橋さんは、こう回想します。
「私は介護福祉士で、看護師ではないため看護に関する『私の視点』がありませんでした。でも、力丸さんからは、専門家へのインタビュー時の音声や、関連書籍などの“サポート道具”も添えられていて。学びを深めながら、投げ返し方を考えました」
やり取りのキャッチボールを続ける中で役立ったのは、金子さんが長年携わってきた「演劇」の経験と、高橋さんがかつて学んだ映画の「絵コンテの描き方」のスキルでした。絵コンテとは、脚本の内容をどう映像化するか、イラストで説明する“指示書”のようなものです。
「絵コンテは、みんなにわかりやすいことが大事。力丸さんにもらった“脚本”と “演出”から、『こんな感じだろうか』と、冷静に描き綴っていきました」
連載中、一度だけ当初予定していたテーマを変更したことがありました。最初に描いた漫画では、読者に制作側の意図とは異なる捉え方をされるかもしれないと、金子さんたちが判断したからでした。
「だから、安心して描けたんです」と、高橋さんは笑みを浮かべます。「本当にこの描き方でメッセージが届くか。力丸さんをはじめ、編集部チームが各コマの細かいアングルに至るまで提案をしてくれました」
“良い言葉”を削り、“絵”で語る
『訪問看護と介護』の主な読者は、医療従事者をはじめとする専門職のため、介護の「現実」を知っています。介護する側にもされる側にも、”ナラティブ”な個々の物語があり、きれいごとだけでは通らないこともあります。
その有り様を知る金子さんは、「この漫画は、『いいもの』として作らなかった。そのために『いいこと』を決して言わないと決めました」と真剣な表情で語ります。
「つまり、『優しくありましょう』などの“良い言葉”を削りました。そのかわりに作ったのが“余白”です。言葉をなくし、恵子さんの“絵”で物語を進めるようにしました。そうすることで、読者それぞれの言葉が、“余白”から生まれればいいなと」
「いいもの」として作られていないのに、すべての話のベースには明るさが感じられます。その理由を、高橋さんはこう答えます。
「言葉にしたらカッコ悪いけど、やっぱり希望という軸から、今だからこそズレちゃいけないと強く思ったんです」
今でも新型コロナウイルスの猛威がおさまらず、暗いニュースが日々飛び交っています。漫画の中では「希望をもちましょう」とは言っていないのに、どの話も最後のページをめくった後には、前向きな気持ちになっています。「余白」から何を感じるか。読後の余韻に浸り、物語の「その後」のストーリーも想像することができる作品になっています。