あなたはどう見る?映画祭受賞作が描く認知症の今 町永コラム・前編
文/町永俊雄
今年も、力作が集まった「なかまぁる Short Film Contest 2021」。9月25日のオンライン授賞式では、福祉ジャーナリスト町永俊雄さんにノミネート作品に関する総括的な講評をしていただきました。けれど、あまりに短時間でのコメントで、まだまだ、語り尽くせていないご様子。そこで、町永さんにノミネートされた各作品についてのコラムを寄せていただきました。前編は、総括とともに最優秀、優秀、ヤングディレクターの各受賞作品についてです。各作品は「なかまぁるショートフィルムコンテスト2021ノミネート発表!」で視聴することができます。
今年のなかまぁるのショートフィルムはなかなか手強い。
と言うのは見る側でいかようにも解釈できるような間口の広さを持っています。それは映像の持つ空気感に、このコロナの時代の苦渋に満ちた心情が反映しているのかもしれません。
このコロナの日々に、人々の心情はひたすら閉ざされてきました。感染リスクに追い詰められるようにして閉じていく社会を、私たちは目の当たりにしてきました。
「これからどうなっていくのだろう」、私たちの存在の不安は、認知症の人の不安であり、また同時にこの事態に、誰もがそうした不安を共有したことが当事者性につながる予感もあり、その双方の振幅の中に今年のショートフィルムは位置づけられるでしょう。
だから、応募された作品それぞれをどう見ればいいのか、ひとつの価値観でくくることができない語り口が展開しています。
えてして認知症を描くときには、記憶があいまいになるなど暮らしに支障が出て、周囲との関係性にヒビが入り家族の負担となるとされますが、しかしそこに「認知症を見るのではなく、その人自身にまなざしを向ける」と言った視点が差し入れられることで、家族も本人も回復していく、と言った定型で語られることが多いのです。
しかし、今年の作品は、そうした既成の物語を解体し、物語は見る側に託されています。どう見るか。それは、あなたはどのように認知症を捉えているのか、と、そのことを見る側に問いかけ、その人の認知症観を大きく揺さぶる作品群が並んでいます。
あるいは、別の見方からすれば、今年のショートフィルムコンテストは、多様な捉え方を提供する創造的な営みでもあり、それはそのままダイバーシティーという新たな価値観を生み出していく推進力をはらんでいるともいえるのです。
- 「MIA」
- 最優秀賞の「MIA」は、確かなアニメーション映像で描き出す近未来的な寓話です。
MIA(Memory Investigation Agency)といういわば記憶捜査機関という部署があり、そこには巨大な記憶収蔵庫があって、エージェントがその収蔵庫を駆け回って記憶をかき集め、そのことで人々は記憶の維持ができています。
登場するのは、認知症であろう老妻とその夫です。記憶が薄れていく妻と、そのことの悲しみが日ごとに増す夫。それは進行していく妻の姿であり、喪失の悲しみです。
記憶を失っていくこととはどういうことか。それはとりもどせるのか。ここにある「記憶」とは脳機能という収蔵庫の中の管理された記憶ではなく、長く連れ添ってきたこの夫婦の関係性に行き来させる時、想いがつながって小さな奇跡が起こります。
妻と分かち合う1枚のクッキー。妻が夫に大きく割り与えるシーンがほのぼのとしたメッセージとなっています。
- 「ある母」
- 優秀賞の「ある母」は、押し寄せる波のようなつらさと困難の中の、介護する「母」の心情の起伏をひたすら描いています。「死んでくれたほうがマシ」、切なさは母を追い詰めます。
その母が介護しているのは誰でしょうか。ベッドにいるのは、乳児から少女、そして娘、そして認知症の親と姿を変えていきます。
しかし、介護される老いた親はやがて、娘から乳児と退行していくのです。時計の秒針が逆進する短いカットが挟まれて、この女性の介護人生の道のりを暗示します。
かつて、女性は人生で3度おしめを替えると言われました。赤ん坊のおしめを替え、姑(しゅうとめ)のおしめ、そして最後に夫のおしめを替えるという介護の人生なのだ、と。
ここには、介護の現実を課題として描くのでも、声高に告発するのでもありません。どのようなつらさの中でも必死の想いはつながっているという願望を、切実な希望へと昇華しています。
最後のシーンに折り紙のリボンでつながりながら、互いの身体を折り曲げる母娘は、相似形となって横たわった姿です。胎盤とへその緒なのか、あるいはひとときの安らぎなのでしょうか。
作品のはじめと終わりに、互いの手のからみあう指がアップで映し出され、共感を静かに響かせます。
- 「音楽と認知症」
- ヤングディレクター賞の「音楽と認知症」での三川夫妻はこれまでもさまざまなメディアに描かれ、認知症の夫婦愛の姿は深い感銘を与えてきました。
それを改めて取り上げるには、実はかなりの腕力を必要としたはずです。しかし、制作した若い感性は夫婦愛の物語でもなく、介護のドキュメントでもない、音楽と映像と言葉が融合したショートフィルムならではの類型のない作品を生み出しました。
ここで描くのは、認知症で演奏が難しくなっていくピアニストの妻とチェロをたしなむ夫の日常です。が、ここでは説明的な要素は全て排除されます。ナレーションもなく、控えめな字幕だけで、全体に流れるのは、介護する側の夫のモノローグです。彼の語り口は徹底して抑制され、淡々と語り続けます。確かに介護のつらさや、彼女の悲嘆も語ってはいるのですが、静かで穏やかの語り口がこの作品の主題となって見るものの心に沁みていきます。
映像は自然光の落ち着いた雰囲気の中、やがて夫のモノローグは人々を不思議な感覚の中に引き込こんでいきます。それはなんであるのか。それは、妻への限りない思いでもあり、自分の限界を知る夫の哀しみのようでもあります。
しかし同時に、見終わって何か自分の心に満たされていくものがあります。あえて言えば、そこにあるのは、認知症を問題化するのではない深い余韻に満ちた人間肯定のやさしさの感覚と言っていいかもしれません。
「これまでで一番いい演奏だった」と夫が語った祈りを込めるような夫妻の演奏、バッハ・グノーのアヴェ・マリアが沁みるように響きながら、ラストシーンにつながります。
後編に続く
- 町永俊雄
- 福祉ジャーナリスト。1971年NHK入局。「おはようジャーナル」「ETV特集」「NHKスペシャル」などのキャスターとして、経済、教育、福祉などの情報番組を担当。 2004年から「NHK福祉ネットワーク」キャスター。障がい、医療、うつ、認知症、介護、社会保障などの現代の福祉をテーマとしてきた。
現在はフリーの福祉ジャーナリストとして、地域福祉、共生社会のあり方をめぐり執筆の他、全国でフォーラムや講演活動をしている。