記憶と人、家族を紡ぐ短編映画 多様な見方を促す 町永コラム・後編
文/町永俊雄
福祉ジャーナリスト町永俊雄さんが、「なかまぁる Short Film Contest 2021」のノミネート作品の魅力を語るコラム、後編です。前編はこちら 各作品は「なかまぁるショートフィルムコンテスト2021ノミネート発表!」で視聴できます。
- 「8月2日の約束」
この作品は、記憶と戦争体験を交差させました。 - 映像はいきなりシリアスな空襲の記録フィルムで始まります。戦争末期の1945年の8月2日、東京の八王子大空襲です。
映像は、一転して現在に切り替わり、認知症ですっかり記憶が薄れた老婦人が、その空襲被災地に引き寄せられるように赴いたのが8月2日。そこから現実にあったことなのか、彼女のかなわなかった夢なのか、時空を超えて若い男女の悲恋物語が進行します。みずみずしさにあふれた映像は、しかし、戦争のもたらす悲劇に塗りかわります。
戦争で踏みにじられた記憶。それは失われたのではなく、私たちが失わせたものなのかもしれません。私たちの今の平和の日々は、失われたとされる戦争の記憶で支えられています。
そのことを鮮烈な記憶として受け継いで、ここには制作者の静かな怒りを込めたメッセージが託されているようです。
白無垢(むく)の花嫁姿の美しさが、哀切極まりない。
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「breath」
「breath」は、このコンテストの中では軽やかなストーリーラインに、明快で光に満ちた新たな共生の姿をつむぎ出しています。
元水泳選手だったニートの若者がひょんなことから、泳げない娘にリモートで水泳を教えることになります。しぶしぶ始めたリモート講習でしたが、洗面器に水を入れての息つぎの仕方に、画面の向こうで懸命に学ぼうとする娘との交流が始まります。
コロナの時代を反映して、リモートでの2人の画面だけのやりとりが、その互いの表情の変化となって、どこか互いの孤独を分かち合うような思いが行き交っていきます。
しかし、ある時点でこのリモート講習が中断します。
落ち込む若者のところに、あるとき、娘からの手紙が届き、その事情が明らかになる、という思わぬ展開を見せるのです。
物語の展開の向こうには、実は共生への本質的な考察が隠されています。
「認知症を見るのではなく、人を見よ」というのは共生への基本原理です。パラリンピックでも、障害者の競技大会ではなくアスリートの大会と位置付けられています。
人を差別するのは、カテゴライズです。名前や感情を持つその人ではなく、カテゴリーで囲い込むことが差別を生むのです。「障害者」「感染者」そして「認知症の人」、レッテルを貼ることが差別につながっていきます。
2人は互いが不完全で弱くても、息つぎの練習を繰り返して画面と向き合い、ただ「人間」をひたむきに見つめました。観念ではなく、2人は互いの息を合わせるようにして認め合う共生を獲得したのです。
そしてもうひとつ、助けられたのはどちらなのでしょう。失意のニートの若者を助けたのはだれか。幼かった娘を助けたのはだれか。世界が、共生に深く息つぐような物語です。
- 「迷子」
異色といえば、「迷子」は不思議な空間を醸し出す作品です。
主人公の女性マイコは、活気あふれる行動の人と描かれています。彼女のキャラクターは、誰にでも関わっていくことです。語りかけ語り合い、ともに笑う。そのうちに見るものは気づいていきます。彼女が関わりを持つのは、この社会からはじき飛ばされるようにして排除され、無視されている人々であるらしい、と。
ここには関わり合うことがひたすら描かれています。目的化も功利もなく互いの関わり合う姿だけを描き、しかもその相手はこの社会では「見えない存在」なのです。
彼女は、現世を突き抜けて冥界の人々と交流し、関わりを作っていきます。
いつもそばに誰かがいる。そんな気配が実は、私たちが生きる今を支えているのかもしれません。
そして、それは特別なことではありません。私たちは、墓参りで亡き人と語り合い、今の自分の暮らしを確認し感謝するという古来の知恵を受け継いでいます。
私たちは、見えるものだけを見て、聞こえる声だけを聞いて過ごしてきました。しかし本来、見なければならないことを見つめ、聞かなければならない声を聞いていたと、果たして、言えるのでしょうか。
この作品はどこかで問いかけています。認知症はこの社会で見える存在となっているのだろうか、と。
- 「ラベンダー家族」
「ラベンダー家族」もまた、現実の厳しさをたじろぐことなく見据えた作品です。
冒頭のシーンは、長玉レンズで引きよせられた映像効果に、のしかかるような住宅地へ向かってひとりの女性が歩んでいきます。彼女は高齢者世帯の親の家を久しぶりに訪ねる娘ですが、映像が描くのは、波乱を含んだ日常という現実に立ち向かっていく心象です。
物語は家族という密室の中で展開します。
久しぶりの家族再会の和やかさは、やがて高齢の父の運転免許をきっかけに急速に崩壊の兆しを見せ始めます。「お父さんのために」とする娘の思いは、ののしりと怒りに満ちながら、家族誰もの意思を封殺する嵐となってこの家族を揺さぶるのです。
これは作品の中の誰の立場から見るかで、全く違ったストーリーとして浮かび上がってくるでしょう。一幕の舞台劇のような緊張感をはらんで、一人息子の自立宣言と父の帰宅とが新たな家族再生を予感させながら、しかし心地よい調和を断ち切るかのようにして、そこで映像はブラックアウトします。あとは、見る側がどのような家族をそれぞれの心に創っていくかにかかっています。
「ラベンダー家族」というタイトルの意味するところは何でしょうか。制作者がしかけた問いかけのようでもあります。
以上が、今年のショートフィルム、受賞作品と、ノミネートされたあわせて7作品の私なりのコメントです。
もちろん、これとは違う見方があって当然で、むしろそうした多様な見方を促しているのが今年の作品群の特色と言えるでしょう。作品は見終わった地点から、新たなスタートを私たちに呼びかけているようです。
さて、あなたはどのように見て、どのように自分の「ショートフィルム」を描くのでしょうか。
- 町永俊雄
- 福祉ジャーナリスト。1971年NHK入局。「おはようジャーナル」「ETV特集」「NHKスペシャル」などのキャスターとして、経済、教育、福祉などの情報番組を担当。 2004年から「NHK福祉ネットワーク」キャスター。障がい、医療、うつ、認知症、介護、社会保障などの現代の福祉をテーマとしてきた。
現在はフリーの福祉ジャーナリストとして、地域福祉、共生社会のあり方をめぐり執筆の他、全国でフォーラムや講演活動をしている。