認知症ではなく「せん妄」かも 入院の記憶を喪失した意外な原因
更新日 執筆/松本一生、イラスト/稲葉なつき
大阪の下町で、松本一生先生が営む「ものわすれクリニック」。骨折で別の病院で入院したときの記憶がない、という男性がやってきました。認知症が進行したのでしょうか。松本先生は「せん妄」を疑っているようで、詳しく説明をしてくれるようです。今回は、どんなエールが送られるのでしょう。
仲野 幸次郎さん(81歳):せん妄はどういう状態なの? 認知症とは違うの?
入院した時の記憶がない
仲野さん、退院おめでとうございます。在宅に戻られていかがですか。大腿骨頸部骨折だったんですね。ご自宅で転倒されたときに折れたのだと(今日の受診に同伴している)娘さんからお聞きしました。
入院して手術し、骨折したところを人工骨に置き換える手術(人工骨頭置換術)をおこなったようですから、歩くことについては心配ありませんね。手術後のリハビリもうまくいったようですね。退院後の具合はいかがですか?
退院後の経過は良いけど、入院した時のことを覚えていないので、それが心配なんですね。仲野さんはうちの診療所に来る前から市内の大病院で血管性認知症の診断を受け、その後、うちに紹介されてボクがもう一度検査して、おなじ病名で診断が確定しました。その病名もご自身が告知を希望しておられたためお伝えしましたね。それで今回、診察に来た仲野さんは、入院によって血管性認知症が一気に悪くなったのではないかと心配しているのですね。
クリニックで検査をして……
先ほど、あなたに検査をした結果が出ました。いくつかの質問に答えていただくMMSE(ミニメンタルステート検査)という検査です。仲野さんの認知機能は、今回の入院前と比べて悪くなってはいませんでした。脳のMRI画像も変化がありません。どうぞ安心してください。
え? その結果を聞いても心配は残りますか。どんな点が心配ですか?
なるほど、入院している間の記憶がない点ですね。骨折したところまでの記憶は残っているのに入院後のことが思い出せないんですね。
記憶が残らないことと意識混濁の違い
実は先月も認知症当事者が「妻に手をあげてしまったのに記憶がない」と言って相談を受けました。その方にも同じようなことを説明したのですが、仲野さんは入院中に「せん妄」という軽い意識混濁の状態が続いていた可能性がありますね。その「せん妄」と認知症を誤解されているので、いま、ご心配なのかもしれません。今日はそのあたりをしっかりとわかってもらえるように話しましょう。
認知症による物忘れは、通常とことなり「今ここで」の記憶がなくなることから始まり、少しずつ過去の記憶も思い出せなくなっていきます。短めの記憶(近時記憶)から始まって、だんだん長めの記憶(遠隔記憶)がなくなるのです。
記憶には3つの要素があって、新しいことを覚える「記銘力」、その記憶を脳内で保っておく「保持力」、そしていざというときに思い出す「想起力」があり、認知症がすすめば、この3つの力が減じていきます。さらに認知症が進行する過程では、これらの記憶に関する能力だけではなく、判断力や計算力、あることを理解して行う能力(実行機能)なども低下していくのですが、そのいずれのプロセスでも意識レベルはしっかりと清明に保たれる(はっきりしている)のが特徴です。言いかえれば認知症では意識混濁がないということです。
せん妄の特徴
それに対して「せん妄」が起きると、意識が少しぼんやりして清明ではなくなるのが特徴です。せん妄には意識がぼんやりして夜間に混乱する(暴力的な行動を起こすこともある)ような、活動が激しくなる「過剰活動性せん妄」と、一晩中、何となくベッドの中でモゾモゾ動いているような、「せん妄」であるにもかかわらず、それほど活動性が高くない「低活動性せん妄」があります。
先月相談を受けた人にも説明したのですが、「せん妄」はアルコールや薬の影響で起きるものもあれば、体の疲れや脱水、発熱などで起きることもあります。先日、仲野さんの退院後すぐに娘さんからお聞きした話では、仲野さんは発熱や脱水などはなかったにもかかわらず、入院して2日目の夜から混乱して点滴を抜いたり大声を上げたりしたそうです。
恐らく「せん妄」が起きたために混乱してそのような行動を起こし、しかも「せん妄」によって仲野さんの脳は「半分寝たような状態」なので、そのときの記憶が残っていなかったのだと思います。それは決して、認知症が悪化して記憶力が低下したからではありません。
今、こうして仲野さんは、しっかりとボクに不安を打ち明けてくれています。認知症の悪化の場合とは異なり、せん妄は時間の経過によって改善するのも特徴です。あなたの場合は入院してから数日にわたって「せん妄」が起きていて、その後、改善した。だから、混乱した時の記憶が残っていないのだと思います。一日の中でも意識混濁のスイッチが入ったり切れたりすることをくり返すのも「せん妄」の特徴です。今の仲野さんは、無事にせん妄が治ったと考えられますよ。
次回は「私はこのままダメになっていくのだろうか:当事者の絶望」です。