【対策編】軽度認知障害(MCI)について専門家が徹底解説
取材/永井美帆
軽度認知障害(MCI)の人のうち、1年間で12%が認知症に進行すると言われています。MCIと診断されたら、何をすればいいのでしょうか? MCIは治るって本当? 認知症の早期発見と早期治療を掲げる「メモリークリニックお茶の水」の朝田隆院長に聞きました。
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・【MCIには運動・認知トレ・社会交流】
・【認知機能アップトレーニング「メモリークリニックお茶の水」の場合】
・【MCIは治る?】
軽度認知障害(MCI)対策編について解説してくれるのは……
- 朝田隆(あさだ・たかし)
- 東京医科歯科大学客員教授、メモリークリニックお茶の水理事長・院長
1982年、東京医科歯科大学医学部卒業。東京医科歯科大学神経科精神科、山梨医科大学精神神経科、国立精神神経センター武蔵野病院精神科、筑波大学精神医学教授などを経て、2014年、東京医科歯科大学医学部附属病院特任教授、15年、筑波大学名誉教授。同年、メモリークリニックお茶の水を開業し、認知症の早期診断法と予防の研究に携わる。20年、東京医科歯科大学客員教授。
【MCIには運動・認知トレ・社会交流】
MCIの段階から適切な取り組みを始めることで、認知症への進行を防いだり、認知機能が回復したりする可能性は十分にあります。その取り組みの一つが、運動です。特に、有酸素運動と筋力トレーニング、バランス運動の三つを組み合わせることが最も効果的だとされています。
有酸素運動はウォーキングやサイクリング、縄跳び、水中ウォーキングといった、持久力を鍛える運動です。筋トレは腕立て伏せや腹筋、スクワット、階段の上り下りなどで、バランス運動は30秒間、片足立ちをするだけで良いです。転倒による骨折は寝たきり状態を招き、認知症のリスクを高めますが、バランス運動によって平衡感覚を鍛えることで、転倒予防にもなります。
認知機能を鍛える認知トレーニング(脳トレ)という言葉は非常に注目されて、さまざまな関連商品が出ていますが、認知機能とは関係のないものもあるようです。私は、衰えてきている機能を鍛えるものこそが、本来の脳トレであると考えています。MCIによって注意力が低下すると、「電話をしながらメモをとる」「会話しながら歩く」など、二つ以上のことが同時にしづらくなります。方向感覚が衰えると、近所のスーパーに行く時でも、道に迷ってしまいます。認知トレーニングとは、さまざまな課題に取り組むことで、このように低下した認知機能を刺激します。
詳しくは「効く!『脳トレ』ブック」(朝田隆著、三笠書房)に書きましたが、例えば、記憶力を高めるためには、何種類かの小銭を並べ、「このお金を使って、1728円をぴったり支払ってください」といった課題を出します。また、方向感覚を鍛えるには、折りたたまれた切り紙を見せて、「これを広げたら、どんな形になるでしょう?」と聞きます。「どうすれば良いのかな?」と考えることで、脳が活発に動き出し、認知機能の改善につながります。
近年、社会交流の重要性が言われています。ベストセラー「頭の体操」で知られる心理学者・多湖輝(たごあきら)さんの著書の中に、「キョウヨウ」と「キョウイク」という言葉があります。「教養」と「教育」ではなく、「今日、用」と「今日、行く」。高齢者にとって、「今日、用がある」「今日、行くところがある」ということが大切だと言うのです。実際、仕事を辞めると、外に出掛けたり、家族以外の人と会話したりする機会が減ります。しかし、さまざまな人と会い、交流することは脳を活性化し、運動にもなります。現在はコロナ禍で難しくなってしまいましたが、仲間と趣味を楽しんだり、地域の活動に参加したり、ぜひ社会とのつながりを作ってください。
【認知機能アップトレーニング「メモリークリニックお茶の水」の場合】
運動、認知トレーニング、社会交流といった観点から、私が院長を務める「メモリークリニックお茶の水」のデイケア部門では、MCIの進行度合いに応じ、さまざまなトレーニングを実施しています。トレーニング自体が「通いの場」になり、いろいろな人と関わることで、脳の活性化にもつながります。
まず、総合能力研究所所長でボディービルダーの本山輝幸さんが考案した「本山式筋力トレーニング」があります。私たちが体を動かす時、脳からの命令が運動神経を通って筋肉に伝わります。このトレーニングはその逆で、筋肉に刺激を与えることで、感覚神経を通って脳に情報が伝わり、認知機能の回復を促すというものです。効果を高めるには、「どの筋肉に力を入れているのか」に集中し、「痛い」「きつい」と感じるくらいまで力を入れ、動かすことが大切です。講師のかけ声のもと、太ももを鍛える開脚スクワットや椅子を使った片足上げなど、さまざまな強度の筋トレに取り組んでいます。
「シナプソロジー」は、その名の由来どおり脳の神経細胞のつなぎ目「シナプス」に関連したトレーニングです。同時に二つ以上の課題に取り組む「デュアルタスク(二重課題)」のように、慣れない動きに複数人で取り組むことで、脳に刺激を与え、適度な運動にもなります。例えば、2人1組になって、「相手が投げたスカーフを、指示された方の手でキャッチする」など、頭と体を同時に使う動きを繰り返します。基本の動きに慣れたら、指示を変更し、さらに脳へ刺激を与えます。運動能力の程度に関わらず、みんなで楽しみながら出来るので、長く続けられます。
みんなで一緒に、ゲーム感覚で「認知機能トレーニング」に取り組んでいます。例えば、記憶力を刺激するには、手に持った感覚で重さを覚える「重量記憶」を使います。最初に500グラムの粘土を持って、その重さを覚えた後、「バケツの重さが500グラムになるよう、中に水を入れてください」という課題に、チーム一丸となって取り組みます。正解することが目的ではなく、コミュニケーションを図りながら、頭を使って考えることが大切なのです。記憶力が低下している人に、「この数字を覚えてください」など、ストレートに記憶力を試すような課題を出すと、人によっては怒ったり、やる気を無くしたりします。しかし、こうした五感を使った記憶なら、自然と取り組んでもらえます。
歌ったり、楽器を演奏したり、音楽を用いたプログラムもあります。大きな声で歌うとストレス発散になり、心身がすっきりします。ただ歌うだけでなく、3人が同時に別々の曲を歌い、1人がそれを聞き分けるなど、ひと工夫を加えて、楽しんでいます。周囲の雑音をカットし、自分の聞きたい音だけを聞こうと集中するので、注意力の向上が期待できます。マンドリンやウクレレなどの弦楽器の演奏にも取り組んでいます。指先を動かすことで、頭の体操になり、また、記憶障害があっても、体で覚えた「手続き記憶」なら忘れにくく、「演奏できた」ということが自信につながります。
ほかにも、絵を描く、作品を手がけるなど、集中して創作活動に取り組むことは、脳の働きを高めます。ここでも、通常とは違ったやり方を重視しています。例えば、描く対象だけをじっくり観察し、手元を見ないで模写したり、鉛筆で真っ黒に塗り潰した画用紙に、消しゴムを使って絵を描いたり、新しい体験をすることで、脳に刺激、認知機能の向上が期待できます。創作活動は1人でも出来ますが、感想を言い合うなど、作品を通じたコミュニケーションの場にもなっています。
こうしたトレーニングは高齢者だけでなく、65歳未満の若年性のMCIにも有効です。現在はコロナ禍のため、みんなで集まって、トレーニングをするのが難しい状況です。私のクリニックでは、トレーニング用の動画を作成し、家族らのサポートのもと、自宅でも取り組んでもらっています。家族で合唱したり、体を動かしたり、楽しみながら続けてくれているようです。
【MCIは治る?】
認知機能の改善をうたったサプリメントなどが販売されています。手軽ではありますが、科学的に効果が証明されているものはありません。また、四字熟語や計算の問題ばかりを集めた、いわゆる「脳トレ本」も数多く出版されています。しかし、四字熟語を知っていたり、計算問題が出来たりすることは、あまり意味がありません。本当に必要なのは、注意力や方向感覚など、低下した認知機能を直接、刺激する認知トレーニングなのです。さまざまな情報があるなかで、「これさえあれば治る!」というものについ頼りたくなることもあると思いますが、残念ながら今は最先端の医学でも「手探り状態です。そのなかで、効果がありそうだと広く勧められている、運動、認知トレーニング、社会交流の組み合わせを紹介しているとご理解ください。
MCIと診断された人のうち、1年で12%が認知症へと進行すると言われています。高血圧や糖尿病をはじめとする生活習慣病、うつ病、難聴などが認知症の発症リスクを高めることが分かっています。生活習慣の改善や適切な治療により、まずは、そうしたリスクを減らしてください。加えて、運動や認知トレーニング、社会交流を続けることで、認知機能が回復する可能性は十分にあります。実際、認知機能を改善するトレーニングを1年半続けた人は、開始時と比べて認知機能検査の点数が上がったことが分かっています。
MCIに勝つには、努力が必要です。適切な対応をすることで、認知症への進行を防いだり、認知機能が回復したりする可能性はあります。しかし、残念ながら、努力しても進行することもあります。私は、認知症にならないことを目的にするのではなく、生きがいを追求していってほしいと思っています。認知症にならないよう、運動や認知トレーニングに取り組むことも大切ですが、趣味や社会交流など、生きがいの追求そのものが、認知症予防につながるというのが理想です。
(イラスト協力/朝日新聞メディアプロダクション)