診察室からエールを

52歳課長職 認知症で仕事にミス 絶望の淵から救ってくれたのは仲間

ダルメシアン

大阪の下町で、松本一生先生が営む「ものわすれクリニック」。今回は、若年性アルツハイマー型認知症と診断された男性のお話です。絶望し、会社にも居場所がないとつらさを感じていた男性に、松本先生はどんなアドバイスとエールを送るのでしょう。

下柳 修三さん(58): 仲間がいてくれたからこそ

若くして発症

下柳さん、今日はうちの受診日とあなたの58回目の誕生日が重なりましたね。今、カルテを見ていて気付きました。あなたが若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けたのはいくつの時でしたっけ。52歳でしたか。かかりつけ医の内科から紹介されて認知症疾患医療センターがある病院で診断されたのでしたね。そちらからうちに紹介があって、初診でお会いしたあなたは、今とはまるで違って絶望感にとらわれていましたね。あぁ、ご自身でも覚えておられますか。

会社で居場所がない

まだまだ、働く世代。勤務先の会社では経理の担当だったと聞いています。細かな計算に苦労したそうですね。はじめの頃は理解を示そうとした同僚の中にも、あなたの間違いを職場のみんながカバーしなければならず、結果的には負担が増えるため、それを快く思わない人がいたと聞きました。当時、下柳さんは課長さんでしたから、責任ある立場でミスをすることにつらさを感じていたであろうとお察しします。

でも、そのような苦しい状況をあなたはいったいどうやって乗り越えてきたのですか。もちろんご家族の協力や理解は大きな力になったでしょう。でも、仕事に就いている以上、家庭で守られるだけでは限界がありましたね。

仲間との連帯

あ、下柳さんは地域の認知症の当事者会に参加したんですね。うちの診療所に来られた時に、社会福祉士を通じてお知らせした当事者会ですか? 参加してみて、どんな感じでしたか? たしか私たちが紹介したのは、若年性認知症と向きあっている当事者同士が集まって現状を分かち合う会でしたね。ボクはかつて認知症家族会の担当医をしていました。家族会と名前が残っていたとしても、今は、認知症の本人の方が考えや意見を語ることが大切だという考えのもとに、家族とともに、本人の方も積極的に参加するようになりましたからね。

いや、下柳さんはうちから紹介したところではなく、ご自身で情報をネット検索したのですね。なるほど、会社に勤めながらブログを書いている当事者との出会いが、大きな転機になったのですね。

仕事をしながら当事者同士が意見を交換するには、かなりの時間的な制約があったと思います。ボクもかつて診療所内に「仕事をしながら認知症と向きあう人の会」を作ったことがあります。もう20年近く前のことで、今のようなハイテク機器もなかったために、休日の昼に診療所まで来てもらって、お互いの意見や疑問を話し合う「分かち合いの会」を実施していました。

ボクが専門にしている心理教育という理論に基づいて、参加した人が正しい情報を得ることと、お互いの共感による支え合いを大切にした集まりでした。でも、集会が平日の午後だったため、働きながら参加してもらうのには限界がありました。ボクも考えが甘かったと反省しています。

チューリップ

今、活動している当事者会のみなさんに聞くと、この2年はコロナ禍で会いたくても集会が開きにくい状況だったようです。それで、下柳さんは、みんなと意見を交えるためにパソコンを使って、オンラインで何人かが話し合える環境を作ったんですね。ボクも学会の委員会などはパソコンでのやり取りが「あたりまえ」になっています。遠くにいてもこのやり方なら出かけていくことがなくても、画面上でみんなと出会い、集会と同じように自分の気持ちを伝えることや、他の参加者の意見を聞くことができますので、効果的ですね。

この先の課題

あ、でも下柳さんもそうですか。いや、実はボクも画面で出会って話ができるのはとても楽なのですが、まだ、実際に出会って話すことと比べると、やや意思の伝達がしにくい気がします。パソコンの画面を通して見えてくる相手の表情や「場の雰囲気」が伝わりにくいからでしょうか。もう少し慣れる必要がありそうですね。

オンラインであっても、根底に流れる理念は認知症と向きあう仲間との連携や連帯ができることです。「この状況は自分一人ではなく、仲間がいて、それを支える周囲のまなざしがある」という実感を持つことこそ、明日につながる希望を育ててくれますからね。

次回は、「それでも生きていく私」です。

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