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義母に試してみろと言われた「忘れるっていいものよ」 もめない介護109

夕日に浮かぶ工場地帯
コスガ聡一 撮影

「最近、楽しいことはなんですか?」
「そうですねえ……子どもと遊ぶことです」
「お子さんはおいくつですか」
「いくつだったかしら。まだ小学校には上がっていないと思います」

もうすぐ89歳のお誕生日を迎える義母は、介護付き有料老人ホームで暮らしています。新型コロナの感染防止策で面会制限が続いているいま、月に1回、もの忘れ外来の往診の時だけ、会うことができます。

5年前、認知症だと診断された時から、もの忘れ外来の医師に繰り返し質問されてきた「最近、楽しいことはなんですか?」。当初は「庭に花が咲くとうれしい」「空を見上げるときれいだなと思う」など、自然にまつわるコメントが多かったのですが、最近は「小さな子ども」が頻繁に登場するようになりました。

施設に入所する前、自宅で義父と2人暮らしをしていた頃も、しきりに「小さなお子さんたちが遊びに来る」と訴えていた時期はありました。

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「引き出しを勝手に開けて、スプーンやフォークを持って行っちゃうの」
「働いていた頃にもらった、かわいい金魚の箸置きも持って行ってしまった」

義母は「レビー小体型認知症傾向のあるアルツハイマー型認知症」と診断されていて、幻視(実際には存在しないものを見たり聞いたり感じたりする症状)があることをうかがわせるような発言がたびたびありました。この連載でもたびたび紹介してきましたが、「2階に女ドロボウが住んでいる!」という話は定番になりつつありました。ただ、2階の女ドロボウの話と違って、家に突然やってくるという“小さなお子さんたち”の話をするときの義母はさほど深刻な様子はなく、むしろうれしそうに「困ったわねえ」と繰り返していました。

幻視との共存

もの忘れ外来で主治医に相談すると、「何か見えているのかもしれないし、別の症状があるのかもしれません。ただ、いずれにしても本人のストレスになっていないようだったら、気にしなくても大丈夫ですよ」という回答が返ってきました。“何か”が見えることで、本人にとって強いストレスが生じるようなら薬を調整することも視野に入れるけれど、共存できているならそのままでOK。むしろ、薬で抑え込むことの悪影響を避けたいと説明され、なるほど!と思ったのでした。

義父と一緒に介護付き有料老人ホームに入所してからは、「2階に住む女ドロボウ」の出番はグッと減り、代わりに“子どもたち”が頻繁に登場するようになりました。

「子どもたちにあげるパンを買っておかなくちゃ」
「さっきまでいたのに、あの子たちはどこに行っちゃったの?」
そう訴える義母に、義父が困惑し、いら立っていた時期もあります。「存在もしない子どもの話をして、意味が分からない!」と言うのです。

それもそのはずで、「子どもにあげるために、パンやおやつを買いたい」となると、義母はいてもたってもいられなくなり、義父に購入資金を求めます。でも、施設では盗難などのトラブルを避けるため、原則として「現金は持ち込まない」というルールになっているので、義父は手持ちの現金がありません。そのたびに、「お金がないってどういうことですか!?」と義母に責めたてられ、ほとほと困っている様子でした。

ちょいちょい義母を訪ねる“7人の孫”たち

義父も、軽度とはいえ認知症があるため、義母の話をおかしいと感じつつも、「現金がないのはマズイ!」とスイッチが入ってしまうこともしばしば。そうなると今度は、義父から「いますぐ現金を持ってきてください!」という電話がかかってくるという、思わぬ飛び火もありました。

「子どもたちにおやつをあげなくちゃ!」
「さっき、職員さんにお願いしておいたので大丈夫ですよ」
「それならよかったわ」

「あの子たちはどこに行っちゃったの!?」
「お迎えが来て、一緒に帰ったみたいですよ」
「それならよかったわ」

義母の心が何であわ立っているのか。どんな言葉を返せば落ち着くのか。試行錯誤を重ね、ようやく落ち着いたと思うと、次なるバージョンが現れます。

数カ月前までは、もの忘れ外来の医師に「楽しみは何ですか?」と聞かれると、「孫たちと遊ぶこと」と答えていました。

「おいくつぐらいですか?」
「どうでしょうね。まだみんな小さくて、育てるほうは大変でしょうけど、こちらは“かわいい、かわいい”と言っているだけですから気がラクなものです」
「お孫さんは何人ぐらいいるんですか?」
「そうですねえ。結構たくさんいます。7人ぐらいでしょうか」

実際には、義母にとっての孫は2人。どちらも社会人です。でも、義母があまりに楽しそうで、ちょいちょい義母のもとを訪れてくれているらしい、“7人の孫”たちには感謝しかありません。

いいあんばいのトークを展開

そして、直近のもの忘れ外来の往診ではいよいよ、「(自分の)子どもが未就学児である」という設定が登場しました。

「お隣に座っている女性がどなたかわかりますか?」

これまでにはなかった質問です。義母は隣に座っていたわたしのほうを向き、ニコッと笑うと、先生の質問をはぐらかすように、話し始めました。

「昔から、母が出かけるときは、いつも私がお付き合いするのが常だったんですよ……」

そして話の途中でふいに、わたしに向かって「義母が見ていたアレはなんだったかしらねえ。ほら、あなたアレよ」と質問してきます。何を言われているのかよくわからないまま、「なんでしょうねえ」と適当にあいづちを打っていると、義母が「アレに写っていた人にとってもよく似てるの。ねえ?」と。

どうやら、アルバムなのか、チラシなのか、「何かで見覚えがある顔」だと言っているようでした。

「では、こちらの男性がどなたかわかりますか?」

夫のほうを指し示しながら、先生が再び質問します。すると義母は「あなたは、あのころはまだいなかったわねえ」とニコニコ。わかっているのか、わかっていないのか、適当に話を合わせているだけなのか。即座にはわからないほどのいいあんばいのトークを繰り広げます。そのコミュニケーション力の高さに、むしろ感心してしまうほど。

忘れてしまうことが増えても、義母においては大丈夫

医師からはこう説明がありました。
「以前に比べると、忘れてしまっていることも少しずつ増えているようです。ただ、もともとのご本人の性格もあるでしょうか、それが強いストレスになっている様子は見られないので、あまり心配しなくても大丈夫だと思います。いまの環境にしっかりなじみ、落ち着いて快適に過ごせているようですから」

確かに、人によってはカチンときそうな「誰だかわかりますか」の質問に対しても、義母はいたってマイペース。好き勝手にコメントして、特に気にする様子もありません。多少寂しいような気持ちがないわけではありません。とうとうその時期がやってきたかとも思います。でも、想像していたほどの大きなショックはありませんでした。

「最近よく忘れちゃうんだけど、“忘れる”ってけっこういいものよ。『なんだか体調が悪いなあ』って思ったとするでしょ? でも、しばらく経つと忘れちゃうの!」
「それはいいですね」
「でしょう? あなたも試してみるといいわよ」
「がんばってみます」

そんなふうにお互いに笑い転げられる時間がまだ残されているなら、“義母にとってのわたし”が誰であっても、まあ、いっか。そんなふうに思えることもあるのかと、また義母から教えてもらったのです。

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