生身で向き合って感じた戸惑い 「問題」の尺度を測るのは誰なのか
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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早朝のコンビニに、大声が響き渡る。
高齢の男性が、店員さんに必死になにかを訴えている。
けれどその訴えは、聞いてる方には突飛な内容だ。
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私はいても立ってもいられず、話しかけた。
傾聴なんてどこへやら、感情のままに話した。
介護施設で働いていた時は、こんな関わり方はしなかったのに。
話しても話しても、解決が見えてこない。
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わからないままに、私たちは立ちつくした。
そうか、わかってもらえない、とはこんなに寂しいことなのか。
その人は落ち着いた。
私たちはただ、見つめあっていた。
今回のマンガは、
私の先日の実体験です。
この体験は私に大きな気付きを、
もたらしてくれました。
それは、高齢の方が周囲にとって、
理解しづらい言動をされた時、
私は「問題」としてとらえていた、
という気付きです。
今回に当てはめるならば、
「高齢者が大声を出して、興奮している」
状況を「問題」としてとらえ、
介護施設で働いていた頃ならば、
「自分の気持ちはおさえ、穏やかになるまで寄り添う」
という解決策を選択していた、ということです。
もちろん、それもひとつの方法でしょう。
でも、この一件があってから思うのです。
「問題」なんて、本当にあったのだろうか、と。
大声を出す、というのは「問題」ではなく、
その人の感情表現のひとつです。
一番大切なはずの相手の心情に、
向き合わない私こそ、
「問題」だったと思えてならないのです。
介護士という役割を脱ぎ、初めて生身の自分のまま、高齢者と関わったとき、
「寄り添う」という、
やわらかな言葉だけでは表せない共感を知り、
いまだ戸惑いが消えません。
そしてこの戸惑いの先には、
より、人を深く知るための可能性があると、どこかで感じています。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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