遠距離で暮らす母親の様子がおかしい…… 【あるある! それってMCI? 認知症?・遠距離家族編】
監修・解説/松本一生 イラスト/あづさゆみか
「軽度認知障害(MCI=Mild Cognitive Impairment)」は、物忘れはあるものの日常生活に大きな支障がないことから気づくのに遅れがちです。2回目は、遠距離で暮らす家族目線で「MCIあるある」を、ものわすれクリニック「松本診療所」の松本一生院長と一緒に考えてみました。こんな光景、みなさんの周囲にもありませんか?
自覚がないことを注意されてショック
東京でベンチャー企業を立ち上げた夫と保育園に通う子どもとの3人暮らしの私。共働きで仕事も充実している。大阪に暮らす両親については、「まだ63歳だから若いよね」と親子ともども考えるようにして、それぞれの生活を「リア充」していた。
卓球が趣味の母親。ある日、公民館で友だちと打ち合っていると、思わぬ指摘を受けた。
【友人】:どうしたん? だるそうだけど。
【母親】:うん……。
【友人】:しっかりしてや。らしくない。
覇気がない、切れが悪いと言われても、母親には自覚がなかった。自宅に帰ってきた母親に、父親が声をかけた。
【父親】:おいおい、玄関のかぎ開いていたぞ。どうしたんだ?
【母親】:えっ、かぎかけたつもりだったけど。
うつむき加減の母親。日ごろは夫婦だけでも、その日の出来事を丁々発止で話すような楽しい夕食だが、この日は母親にとってみれば友人と夫に指摘を受けたことでちょっと落ち込んでいた。
【父親】:どうしたん? 最近、元気ないし、もの忘れか?
【母親】:まだ62歳だけどね。年かな~。
【基本編】軽度認知障害(MCI)について専門家が徹底解説
家族の連携で異変が続いていたことがわかる
そんなとき、テーブルの脇に置いてあった母親のスマートフォンが鳴った。東京で暮らす一人娘からだった。
【父親】:電話、電話。
【一人娘】:夏休みの温泉旅行の件だけどさ。卓球との日程調整どうだった?
【母親】:あぁ、そうね。任せるわ。
【一人娘】:元気ないけどどうしたの? (孫との)家族旅行も大事だけど、卓球の試合も大事だって気にしていたじゃない。
ビデオ通話を切った一人娘は、夫と子どもに「ママ、孫と温泉旅行行きたくないのかな?」と漏らした。東京で暮らす娘夫婦にとって、大阪に暮らす両親に会うのは共働きということもあり、1年に数回しかない。孫がいるためビデオ通話で話すことはよくあるが、細かな生活実態まではわからない。「高齢者のみ世帯の増加」や「高齢者独居世帯」の話題がニュースになると気になってきた。
小1時間後、一人娘のスマホが鳴った。さっき話した大阪の母親からだった。
【母親】:夏休みの温泉旅行だけど、どこにする?
【一人娘】:えっ、さっき電話で話したばかりじゃない。
少し混乱する母親は、「そうだったよね」といって電話を切った。そして10分もしないうちに、今度は一人娘が父親のスマホに電話をかけてみた。
【一人娘】:ママ、様子がおかしいけど。
【父親】:実は……。この前も2回続けてナベを焦がしたんだよ。
一つ間違えば火事になってしまうこともある。そして母親自身に自覚がない「失敗」が重なっていたと聞き、娘は急に心配になった。連休を利用して帰省し、家族で話そうと思った。
自分一人で抱え込まないで
新幹線の中では、スマホで何度も「もの忘れ」で検索し、情報収集を試みた。実家に着いた一人娘に、母親は驚いた。
【母親】:あんた、なんでこんなところにいるの?
一人娘もこの母親の一言に驚いた。
【一人娘】:この前、連休に帰るって言ったよ。
家の中に入ると、几帳面(きちょうめん)な母親が洗濯物をため込んでいたのに驚いた。キッチンでお茶をいれようとしていた母親に、一人娘がちょっとおねだりする感じでやさしく声をかけた。
【一人娘】:今日はママの煮込みハンバーグ食べたいな。
【母親】:わかった。買い物行ってくる。
母親が自転車で買い物に出るのを確認した父親は、リビングにいた一人娘の前に1冊の手帳を置いた。開くと、母親の行動記録が箇条書きで書かれていた。
【父親】:気になったことをメモしておいたよ。
【一人娘】:見せて。
言葉が出なかった。
一方、買い物から帰ってきた母親は、キッチンでハンバーグを作り出していたが、様子がおかしい。動作が止まったままの母親。リビングにいた一人娘はキッチンに入り、母親に寄り添った。
【一人娘】:ママ、一緒に作ろう。私に教えて。
【母親】:……。
一緒に暮らしたり、「ちょっと変かも?」と疑わなければ気づかなかったりすることかもしれない。しかし、半日も生活を共にしていると一人娘にも徐々に状況がわかってきた。久しぶりの3人での夕食で、思いきって母親に聞いてみた。
【一人娘】:ママ、ちょっと元気がないんじゃない?
【母親】:時々、思い出せないことがあるんだよね。自信なくしちゃって。
【一人娘】:連休明けに「もの忘れ外来」に診てもらおう。
【父親】:抱え込まなくていいんだよ。家族なんだから。
*おことわり:監修医の松本医師からよく聞く「あるある」エピソードをヒアリングし、それをもとに作成しました。
【松本一生医師のミニ解説】
気づきは笑い事で済まない失敗から
MCIは、周囲の人が気づく場合もあれば、本人が気づく場合もあります。ただ、一つの出来事でMCIと判断できるほど簡単ではありません。周囲の人たちも、MCIの「あるある」を理解しておくといいでしょう。
MCIや初期の認知症はなかなか気づきにくく、異変の積み重ねに周囲が気づくことが多いのが実情です。私の経験からすると、「もの忘れ外来」への受診のきっかけは、笑い事で済まされないことが起きたときです。例えば、私はクリニックへ電車で通っていますが、高額な定期券を紛失したことがありました。これは笑い事では済まず、ショックですよね。
私が診察してきた、MCIから認知症に移行した患者で、かつ家族や親しい知人といった「身近な人が変化に気づいた」という1167人について分析してみました。身近な人が気づいた変化で多かったものの上位五つ(複数回答)は下記です。
- これまでより怒りっぽくなった(672人)
- 何度も確認が増えた(403 人)
- 家電の操作ができなくなった(338人)
- 何事にも関心を示さない(322人)
- 大きなお札での支払いばかりする(196人)
家族が異変に気づいて受診するケースでは、夫婦で来院することもありますが、子どもが親を連れて来院する場合も多く見られます。ただ、どこまで異変に気づいているかが課題です。こうした日常の異変を家族が記録して、受診時に持って来てくれると診断の参考になります。何が起きているのかを知ることが大事だからです。
健康な状態と初期の認知症の中間の状態ともいえるMCIでも、診断を受けると、ショックを受けます。私の場合、脳内で起きていることを淡々と説明し、いまの状態を客観的に理解してもらうことから始めます。カウンセリングのような診療スタイルを通じて、恐怖感のみを植え付けないように注意を払っています。先のことまで考えて説明することも大切で、患者や家族のその後の向き合い方や人生も、考える期間ができることで変わってくるからです。
MCIと診断を受けても、その後の対応によっては認知症への進行を遅らせることができるかもしれません。MCIから認知症に進行しない人もいますし、もとのレベル近くまで回復する人もいます。
異変への自覚がない人は「私を病人扱いするな」という人が少なくありません。MCIだからといって人生を否定されるものではありません。誰にでも可能性があります。だからこそ早期発見や早期受診のためには、普段からMCIや認知症を自分事として考え、偏見や先入観を持たないことが大切でしょう。
- 松本 一生(まつもと・いっしょう)
- 松本診療所理事長・院長、大阪市立大学大学院客員教授、日本認知症ケア学会理事。日本精神神経学会指導医・専門医、日本老年精神医学会指導医・専門医、歯科医師、ケアマネジャー。