「延命治療いらない」は元気だった頃の言葉 人の心はゆらゆら揺れる
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
![景色を眺める二人](http://p.potaufeu.asahi.com/6eeb-p/picture/26088545/1b562dee7051d2023c96a83b0852bbef.jpg)
「もう充分に生きた。もしもの時は、命を延ばす治療をしないで、そのまま死にたい。」
あなたがまだ元気な頃、私はいつもそれを聞かされた。何度も、何度も。
![ベッドの上にいる人](http://p.potaufeu.asahi.com/19b6-p/picture/26088542/ced0e91dd77bcfd40d11fd216932038d.jpg)
けれど、いよいよ体が弱ったあなたは、
「1日でも長く生きたい」と、自ら医療を求めた。
それは人間らしい、命への渇望。
![点滴を受けながらベッドに横たわる人](http://p.potaufeu.asahi.com/09b8-p/picture/26088544/897df0f8895faaa59b23011ec38d3457.jpg)
人の心は、ゆらゆら揺れる。
どこにも正しい答えなんてない。
だからせめて最期の時を、
あなたと一緒に、ゆらゆらと。
私の祖父は「医療に頼らない、できる限りの自然な死」を長年望んでいました。
けれど、実際のその時。
うってかわって、人工栄養法などいわゆる延命治療を、自ら強く求めました。
とても人間的な心の動きではないでしょうか。
当時、祖父は私を「看護師さん」と呼ぶほど認知症が進んでいましたが、
認知症になったからこそ、体が弱ったからこそ、本心に気づけるようになった、という見方もできます。
健康、とされる時になされた判断が、その人にとって最期まで有効だなんて、
誰が決められるのでしょうか。
人の気持ちはコロコロ変わるから、こころというのだ、と聞いたことがあります。
その時々の相手の心の揺れに添うこと。
それが人生を締めくくる人へ最低限できる、敬意の表し方かもしれません。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
![](http://p.potaufeu.asahi.com/nakamaaru/img/nakamaaru450_450.gif)