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もめない介護

介護ストーリーは突然に あの日あの時決めておけば もめない介護104

白いチューリップ
コスガ聡一 撮影

「いまはまだいいけど、親の介護が始まったら、誰がどう役割分担するのか考えただけで不安です」
そんな悩みを打ち明けられることが時々あります。

ほかのきょうだいが実家の近所に住んでいるけれど、親の老いや介護に対する関心も危機感も薄そう。

実家の近くに住むきょうだいは、親との折り合いがあまりよくない。

いざとなったら自分が面倒を見なくてはならないけれど、ひとりで引き受けるのはつらい。

一人っ子なので頼れるきょうだいがいない……などなど、人によって気がかりなポイントはさまざまです。なかには「親の介護は長男の妻がするべき」といった、昔ながらの介護観を持ち出され、驚いたりあきれたり、落ち込んだりしているケースが後を絶ちません。

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いざというときにトラブルにならないよう、早めに役割分担を決めておきたい。でも、それぞれが仕事や子育てに忙しく、下手に話を持ち出して“ヤブ蛇”にもなりたくない。なんとなく話をしそびれたまま月日が流れ、やがて、ある日突然、介護の必要性に直面し、話し合いどころではなくなってしまう――。

我が家も全く話し合いのないまま、介護がスタート

実は、我が家もまさにこの典型的な「話し合えていない」状態で、夫の両親の認知症発覚を迎えました。

夫は長男ですが、末っ子のせいか“長男らしさ”は乏しく、「親が年をとっても、面倒は見ないよ」と公言してはばからないタイプ。また、義父母からも「長男だから」(長男の嫁だから)という発言を聞いたことはなく、とくに干渉されることもなく、新年会でたまに顔を合わせるだけの関係が続いていました。

結婚した時点で、義父母が自分の両親よりひと回り以上年上で、祖父母に近い年齢だとわかってはいました。いずれ病気や介護のことも考えなくてはいけないと、うっすら思いながら、まるで現実のものとはとらえていなかったのです。

義父母はもちろん、義姉とも「将来、介護が必要になったらどうする?」という話を一度もしたことがありません。その結果、待っていたのがジェットコースターのような認知症介護の日々です。始まったばかりのころは、介護のキーパーソンを引き受けたのはいいけれど、「なぜ、わたしばかりが……」との思いに駆られ、にっちもさっちもいかなくなったこともありました。夫に対しても義姉に対しても、どのように助けを求めればいいのかわからず、結局、誰も助けてくれないとストレスをため込んだ時期もあります。

決断を下さなければいけない場面だからこそ、腹をくくれることも

夫とも何度もぶつかり、大泣きしたり、冷ややかになったり、離婚を考えたりしながらも、なんとか修復して、助けを求めるためのやりとりを工夫して、探って……を繰り返してきました。
「もっと早く話し合っておけば……」と思ったこともありますが、その一方で「あらかじめ、話し合うことでうまく役割分担をできただろうか?」という疑問もあります。

たとえば、もの忘れ外来の往診。月1回の往診は基本、わたしと夫で付き添ってきましたが、それは認知症だと分かったときの義父母の状態、主治医をお願いした医師との関係性、もの忘れ外来クリニックと夫の実家との距離などをふまえて、「その選択がベストだと思ったから」でした。
これが「これから何か起きるかもしれない」という状況で決められたかどうかというと、難しかったように思います。事前の予想が外れたことも多々ありました。

たとえば、衣類の整理。嫁にあれこれタンスの中をいじられるのは義母も不愉快だろうと思い義姉にお願いしましたが、実の親子のほうがお互いに遠慮がなく、派手にぶつかる。義母は怒り心頭、義姉も良かれと思ったサポートをことごとく母親に否定されて困惑する……といった場面もありました。

“何らかの決断を下さなくてはならない”というシチュエーションに直面しているからこそ、えいやっと腹をくくれる側面もあったように思うのです。

両親だけで対処できている今は良いけれど

ただ、家族が介護に対してどう考えているのか、どの程度かかわるつもりがあるのかまったく分からない状態からの介護スタートは不安にも駆られるし、ストレスもかかります。その意味では、まったく話し合わないでいるよりも、話し合いができるに越したことはありません。では、何を話すのか。

義父母のときは話し合うきっかけを逃したまま、介護のフェーズに突入しましたが、今度は自分の両親の介護を考え、話し合うチャンスが巡ってきました。

昨年末、私の実母の乳がんと、実父の前立腺がんが発覚したのです。いずれも早期で、母は部分切除手術と放射線治療、父はホルモン治療ののちに放射線治療を行うことになりました。両親はまだ70代で元気いっぱい。受診も自分たちで車を運転し、夫婦だけでそれぞれの主治医と相談し、テキパキと治療計画を立てています。動揺する娘(わたし)を尻目に「ダブル認知症の次はダブルがんだね! こりゃ大変だ!!」と笑い飛ばす始末です。

いまのところ、子どもたちの出る幕はなさそうです。でも、今後はどうなるか。いつどのタイミングで、どのようなサポートが必要になるのかはわかりません。

親が見せている顔が、こどもごとに違うことも

そこで急きょ、ふたりの弟と弟たちの奥さん、そしてわたしの夫を加えた「きょうだいLINEグループ」を作成。両親の診察状況や治療経過を情報共有するとともに、「いまは大丈夫だけれど、これからのことで心配なこと、不安なことなど話しておきたい」と投げかけました。

新型コロナ感染拡大、通院支援の必要性、両親のメンタル面のケアについて……。弟や義妹たちと電話で話し、お互いに“いま気がかりに思っていること”を話し合いました。親に対する見方も、親が見せている顔も違います。ざっくばらんに話すことで、自分が知らなかった親の姿、そして、きょうだいたちの姿を知ることができました。

「何かしらサポートが必要になったら、お互いの生活を大事にしながら何ができるか一緒に考えたい」と、お互いになんとなくの合意が得られたことで気がラクになりました。何も起きていないうちから、カッチリと役割分担を決めるのは難しい。でも、「かかわる気がある」という確認は可能です。この同意が取れているだけでも、「自分ひとりに押しつける気なんじゃないか」と疑心暗鬼に駆られずにすみます。

仮に、「まったく協力する気がない」「危機感がない」「とりつく島がない」といったような、こちらが望まぬ結果だったとしても、その認識のズレがある前提でどうするか。“本番”がやってくる前にすり合わせるのか、それともズレを容認し別の手を打つのか。話し合いの場を設けたからこそ、新たな策を講じる時間を生み出すことができるのです。

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