そして私は霊媒師になった 2階に住みつく義父母の敵も一喝 もめない介護97
編集協力/Power News 編集部
「この部屋、なんだかイヤな気配がするのよ……」
義両親がまだ在宅で夫婦ふたり暮らしをしていたころ、義母がふいに「イヤな気配」について訴え始めることがありました。もともと義母には「もの盗られ妄想」の症状が見られていました。「2階に知らない女性が住みついている」「毎晩、寝室に入ってきて大切なものを盗っていく」と言い出したことが、認知症発覚のきっかけにもなっています。
もの忘れ外来の医師から「“否定も肯定もしない”を心がけてください」とアドバイスされ、ひたすら“おうむ返し”で対応していた時期もあります。そのかいあって、もの盗られ妄想の症状はやわらぎ頻度も減っていったのですが、ゼロにはなりませんでした(連載第10回「『財布盗まれた』身近な人ほど疑う認知症 対策は?」参照)。
声を荒らげるなど激しい態度は見られないけれど、相変わらず義父母の世界では「2階の女ドロボウ」が存在している様子が見られます。診察時に伝えると、「あれ? まだ続いてますか」と医師は笑いながら、「ご本人のストレスがさほど大きくないようなら、そのまま、しばらく様子を見ましょう」とコメント。というのも、強い薬を使えば妄想の出現を抑えることもできるかもしれないけれど、強制的にボーッとさせることになるので生活に悪影響を及ぼす可能性もあると言うのです。
「2階の女ドロボウ」が現れる前兆
繰り返し対応しているうちに、義母が「2階の女ドロボウ」や「イヤな気配」を訴えはじめだす、何かしらの不安や不満、困りごとがある時だとわかるようになってきました。
たとえば「大切な薬だから絶対になくしたくない」と思い、しまいこんだのはいいけれど、場所を忘れてしまった。ふと「髪のカーラーは、例の女性も使いたがりそうだ」と思い立ち、盗まれないように隠した結果、自分も見つけられなくなる。デイ通いはせず自宅でのんびりしたいのに、みんなが「出かける準備をしましょう」と言ってくるので腹が立つ……などなど。
多くの場合は、この連載でもご紹介した「おうむ返し作戦」で対処できたのですが、悩ましかったのが義母の言葉を繰り返すようにあいづちを打っても、うまく気持ちがそれてくれない場合です。
「この部屋ね、なんかイヤな気配がするのよ」
「あら、イヤな気配がするんですか」
「そうなの! あなたも感じるでしょ。絶対に、これ良くないことが起こるわ。何が起きるのかしら」
落ち着くどころか興奮気味になってしまうこともありました。そんな時、どうするか。私がとった作戦はこうです。
おうむ返しでダメな時は「イヤな気配がするのは部屋のどのあたりですか?」と思い切って義母の話に乗ります。この話題が出るのは義父母が寝室として使っていた和室が多く、義母が指し示すのはたいてい押し入れでした。
見えない相手に、インチキ霊媒師が挑む
義母が不安を覚えている場所を特定したら、おもむろに「えいっ、えいっ、えいっ」とかけ声をかけながら、腕を振り回します。インチキ霊媒師さながらの派手なアクションに義母は目を丸くしていますが、そのうち愉快そうに笑い出します。
「ねえ、もしかして、イヤな気を払ってくださったの?」
「これでしばらくは大丈夫かと思います」
真顔で答えると、義母の気分はさらにアップ。目をキラキラさせながら褒め称えてくれます。
「あなたってそんなこともできるの。すごいわねえ」
「これぐらいお安い御用です。イヤな気配がしたなと思ったら、いつでも言ってくださいね。またやりますから」
あっけにとられた顔で義母とわたしのやりとりを見ていた夫も、気を取り直し、「おふくろ、良かったね」「ホントにねえ」などと言い合っていました。実家から帰る道すがら、「よくあんな対応を思いついたね」と笑われましたが、その時は苦しまぎれにひねり出した思いつきが、たまたまヒットしたという状況でした。
真剣に向き合うことで、対応のヒントが見つかることも
ただ、想像していた以上に、この方法は義母に好評で効果がありました。そして応用も効きました。
たとえば義母が、「2階の女性が勝手に寝室に出入りして困る」と言い出したら、「私が代わりに言ってきましょうか?」と伝え、2階に向かって「本当に迷惑しているのでやめてくださいね!」と声をかけます。
「また、誰かが2階に入り込んでる気がする……」と言われたら、「ちょっと見てきます」と実際に2階に上がり、「大丈夫でした。誰もいませんでした」と報告します。不在報告だけでは納得してくれず、「きっと隠れてるのよ。ずる賢いから」と言われたりもしましたが、「じゃあ念のため、『あんまりしつこいと通報しますよ!』と声をかけましょう」と言うと、「もう十分よ」とむしろ義母に止められることもしばしば。
「あなたって本当に行動が早いから……」と、半ばあきれたように笑われたことも一度や二度ではありません。
不安や不満を抱えている時に「気のせい」「考えすぎ」と言われても、誰しも納得いかないものです。でも、相手が親身になって、真剣に向き合ってくれていると感じると、ちょっと気持ちが安らぐ。問題が解決してなくても、まあいっかと思えることもある。それは認知症があってもなくても同じ。「介護する・される」の役割を離れて、わたしたち自身の気持ちの動きに照らし合わせて考えてみることで、対応のヒントが見つかることがあるのかもしれません。