「どうせ話しても分からない」は本当かな。「伝わる」をあきらめない
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
![距離のある2人](http://p.potaufeu.asahi.com/9024-p/picture/25074609/eadb937466cff9401e3c3f653cdd83e7.jpg)
「この話は難しいかな?」
認知症の進んだ母が困らないように
会話を選んでいたら、
話しかけられなくなってしまった。
…でも。
![顔を押さえる人](http://p.potaufeu.asahi.com/c3f8-p/picture/25074602/f97d1fe01ddc97bfccfc5871bb8c0bbc.jpg)
母には、
話してもわからない。
その僕のあきらめは、本当かな?
![距離が縮まった二人](http://p.potaufeu.asahi.com/80d1-p/picture/25074604/263f2680460cbfc09af7c451743c1792.jpg)
だからもう一度、
母の隣に立ち、話してみた。
母を見つめて、頷いてみた。
この人には、
話してもわからないだろう。
認知症があってもなくても、
どちらかに、そのあきらめがあると、
お互いの孤独は深まります。
たとえば、私に
英語で難しい話をされても
内容は全くわかりません。
けれど、わかることがあります。
感情です。
嬉しそうだな、
辛そうだな、
恥ずかしそうだな。
内容は理解できなくとも、
話してるその人の心は、
なんとなく、伝わってくるものです。
お互いの思いを感じあって、
頷きあうこと。
人と深く心を通いあわせるために、
それ以上のものがあるでしょうか。
そしてその温かさが、
人を孤独からすくう、
命綱になり得るのです。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
![](http://p.potaufeu.asahi.com/nakamaaru/img/nakamaaru450_450.gif)