励ましの言葉が凶器になる あなたは私を 私はあなたを知り得ない
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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そう、私に言ったあなたへ。
あなたには一体、私の
なにが見えているのでしょうか。
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あなたは、知らない。
私がひとりでいる時の苦しみ、
人には見えないように
している、それらを。
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私は、あなたを知らない。
あなたも、私を知らない。
だから、私たちは、
手探りで近付いていく。
「認知症には、見えないね」
その言葉が当事者の方に
かけられる場面に、
何度も居合わせてきました。
やるせないのは、
そう口にした方々に悪気はなく、
むしろ、
「そんなに悪くは見えないよ」と
ご本人を励ましたい気持ちがあった、
というところです。
認知症も
うつ病も
障害も。
周りの私たちは
その名称やパターンを知れても、
ご本人だけが抱える痛みを
知ることは困難です。
こうやって、
認知症の記事を書いている私も
「ある程度、わかっている」
という傲慢さがあだになって、
当事者のお気持ちを傷つけた
ことが何度もあります。
「相手のことが、わからない」
それは恥ずべきことではなく、
誰かを理解したいと願う時の、
最低限のマナーなのかもしれません。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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