認知症という「超能力」授かった父からの暗号 【認知症エッセイ】

なかまぁるでは、認知症フレンドリーな取り組みが社会に広がることを願い、今年も「なかまぁるShort Film Contest 2020」を開催しました。今回は新しい試みとして、ショートストーリー部門「SOMPO認知症エッセイコンテスト」を新設しました。認知症の介護のエピソードや親子の絆、感謝の気持ちなど、1329本の応募作品が寄せられました。その中から、編集部イチオシの12作品をお届けします。また、作品は原文の通り掲載しています。

■『時空旅行ができる超能力』菅尾尚子

 父が他界して5年が経つ。亡くなる前の数年間は認知症になった。まずは短期記憶、次に時間感覚が失われた。外出時にしかつけなかった腕時計を、家の中でも身に付けるようになった。きっと、朝なのか夕方なのかわからなくなることがあったのだろう。そして、「ここで5分待っててね」と言っても待てなくなった。経過した時間が5分なのか数時間なのかわからないものだから、ずいぶん待たされた気がして動いてしまう。やがて、他の病気が発覚して入院すると、空間感覚もあやふやになり、病室を昔訪れた旅先のホテルと思い込んだ。治療が終わり、リハビリとは名ばかりの介護病院に移って、父はポツンと一人でいることが多くなった。車いすに座り、代わり映えの無い窓の外をじっと見ているだけで、ほとんど口をきかなくなった。だが、全くボケてしまったかというとそうでもない。最期まで家族の顔は忘れず、気遣いもあった。遠くから見舞う私に「悪いな」と言い、母には「雪だから気をつけて帰れよ」と声をかけた。母が「お父さん、一人で寂しいね」と話しかけると、「まあ、それも気の持ちようだ」としごく全うな、達観した答えが返ってきたこともある。

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 窓の外を眺めながら父は何を考えていたのだろう。「気の持ちようだ」とは、自分さえ我慢すれば、子どもたちや年老いた妻に負担をかけずに済む、という意味だろうか。認知症の進んだ表の姿とは裏腹に、父の頭の中では意外に高度な精神活動が行われていたのではないかと思う。
 父から時間の感覚が失われたあの頃、父が壊れていくようで悲しかった。けれど本当にそうだろうか。今なら、時間を思うままに移動できる特殊な能力を得たのかもしれない、と思える。時間の方向性とスピードは、(正常とされている)私たちが受けている縛りだ。時は否応なく、過去から未来へと一定のスピードで進む。私たちは、「現在の自分」を取り巻いている事象しか「現実」だと思えない。予測する未来は現実ではないし、過去に実際に起こったことも、直接五感で感じられない以上、もはや現実ではない。けれど、そういう「正常」をつかさどる脳細胞が働かなくなると、ひょっとしてその縛りから解放されたりしないだろうか。時間を逆行したり、未来へジャンプしたりして、それらの時間も現実として認識できたなら――。父はずっと窓に向かいながら、楽しかった過去を再体験し、未来をのぞき見していたかもしれない。「気の持ちようだ」とは、そういう意味であってほしい。好きな時間へ飛べるなら、なんて幸せなことだろう。
 時間軸を自由に行き来するようになった父は、1年間静かな入院生活を送り、この世を去った。体が無くなったことで父は空間軸も自由に移動できるようになった、ともいえる。もし、父の意識がまだどこかに在るなら、行きたい時間の行きたい場所へ、瞬間移動して楽しんでいるのかなぁと思ったりする。
 亡くなってからこれまでに、父からメッセージをもらったと感じたことが何度もある。例えば葬式の後、久しぶりに自宅に戻ると玄関先の鉢植えに、植えた覚えのないピンクマーガレットが満開になっていた。花が好きだった父が、私好みの花を植え、「これまでありがとな。あんまり悲しむなよ」と言っている気がした。昨秋、病気をし、検査結果を待っていた11月には、季節外れの芝桜が遠慮がちに3輪だけ咲いた。父が好んだ花だ。「よくない結果が出るけど、辛抱しろよ」という見舞いに感じられ、その通りになった。そして入院していた正月。病室で、これからどうなるんだろうと不安な心持ちでボーっとしていた時、もっとはっきりした形で父から言葉が下りた。それは一種の暗号で、するりと解読できたメッセージは、「この後はもう大丈夫」とはっきり伝えてくれていた。なぜ父からだとわかったかというと、父だけが使っていた私のあだ名が、メッセージに添えられていたからだ。その予言通り、それを境に検査結果はすべて正常になった。
 あの世があると信じている訳ではない。だが、何らかの形で父の意識が私の現在に働いていることは確かに思える。あの世がないなら、どうやって? 窓の外を眺めているだけに見えた1年間、父は遺していく家族の一生分の健康と幸せを祈ってくれたのではなかろうか。時空を自由に行き来し始めていた、人と仏の狭間のような時期に、父は私の未来へも移動したらしい。そして、私が正しく健やかに生きられるよう、要所要所にメッセージをセットしてくれた気がする。
 私たちが「認知症」と呼ぶものは、老齢期の最後に人を時間の縛りから自由にし、超能力を授けるプログラム。そんな風に思えてならない。今現在、認知症の方々も、過去から未来まで移動できる生涯一度の時空旅行を楽しんでいますように。皮相からはわからない、内面の深い営みを祝福し、敬意をもって寄り添いたい。

■編集部から

家族が認知症で変わっていくさまを「寂しい」と感じながらも、変わった言動や感覚を冷静に「超能力」ととらえるエッセイです。
認知症をサイエンスフィクションの感覚で見つめるとは、新鮮な視点でした。互いの感覚が違うときに、相手に目線を合わせるためにはこんな方法も取れるのだと、興味津々で読みました。
このエッセイを読むと、正常とはどのようなことなのか、自分の見方にはどんな感覚があるかなどと考えを広げられそうです。

■「なかまぁるShort Film Contest 2020」はこちらから

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