風呂で使うタオル2枚 おしりの痛みは僕の心に刺さった【認知症エッセイ】

なかまぁるでは、認知症フレンドリーな取り組みが社会に広がることを願い、今年も「なかまぁるShort Film Contest 2020」を開催しました。今回は新しい試みとして、ショートストーリー部門「SOMPO認知症エッセイコンテスト」を新設しました。認知症の介護のエピソードや親子の絆、感謝の気持ちなど、1329本の応募作品が寄せられました。その中から、編集部イチオシの12作品をお届けします。また、作品は原文の通り掲載しています。

■『お風呂の出来事』とんてった

最近母のチグハグな行動が目立ってきた。先月運転免許証を自主返納してからはますます家を出なくなり、なんとか散歩に出そうとあれこれ誘い出したり、外出の代わりにせめて自宅で料理の手間をかけさせたりと気を使う事が多くなった。
それでなくても日々の料理の指示や週末の買出しなど家事の負担が増えてきたため、最近僕にとって入浴はホッと出来る数少ないひと時である。

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その入浴でのつい最近の出来事。のんびりと湯船に浸かりいい湯加減になったので洗い場で体を洗おうと風呂椅子に座るとチクっとお尻に違和感を感じた。
痛っ、と風呂椅子から立ち上がり椅子を見ると座面に小さな亀裂がありそれにお尻が挟まれたのだった。
以前からその亀裂には気づいていたが表面のヒビ程度だと思っていた。
座る位置さえ少し変えればなんてことなく使えるのでそのまま座り直して体を洗い再び湯船に浸かる。
「あーあ、この風呂椅子もついに寿命か。まだ使えるけど今が買い換えどきかな」「やっぱアマゾンかな」などと湯船で思案を巡らせているとふとつい2、3日前の朝の事を思い出した。
いつものように風呂の残り湯を洗濯機に入れるため風呂場を開けると風呂椅子にタオルが敷かれていたのだ。
そうだ、僕はその10日位前から朝洗濯する際に母がタオルを2枚出すようになり、なんでわざわざ2枚も使うのかと不機嫌な気分にされていたのだ。
別に洗濯は洗濯機がやる事で僕が困る訳でもないのだが、たかが入浴するのに2枚もタオルを使う事がどうしても納得できず、かと言ってそんな些細な事で母にとやかく言う自分が小さいと言われる事も嫌で本人にも言えず悶々としていたのだった。
その問題の2枚目のタオルの使い道が風呂椅子の敷物だったのだとわかったその瞬間、全てが結び付いてハッとした。
そうか、母はこの風呂椅子にかなり前にお尻を挟まれてしまい、それが嫌でそれ以来タオルを敷くようになったのに違いない。
母はそれを僕に伝えて買い換えを催促せず、タオルで不具合を防いでいたのだ。
母の行動には母なりのきちんとした理由があったのだとわかった途端、自分がただ母の行動を一方的に決めつけて対応していた考えの浅はかさに恥ずかしくなった。
父がアルツハイマーで亡くなってから12年、その次には義父が認知症になり2年前に老人ホームへ見送りそれなりにそんな相手に接する対応の仕方は経験はしてきたつもりだった。
けれどもそれは面倒を見る当事者ではなくあくまでも第三者的な接し方であり、こちらが一方的に相手の行動を決めつけて対応していたに過ぎなかった。相手の気持ちを察っしようとしていなかったのだ。
今回の出来事は僕にとって、母のおそらくこれからますます増えるであろうチグハグな行動に対して、きっとそれには母なりの理由があるのだからもう少し寄り添って接してあげなければならないというメッセージに違いない。

■編集部から

みごとに日常の一コマを切り取られたエッセイでした。
特に三段落目からは、私の頭の中で再現ドラマかのように、とんてったさんとお母さまの様子が目に浮かんでいました。お母さまの気遣いからとんてったさんが気づくまでのプロセスに、情の交わりとはこういうものなのだと、うなずきながら読みました。
ふとしたときに、普段感じていた点と点がつながり、一瞬で面になり立体に発展し、情が目に見える形になって表れる。このような気づきは、そう多く得られるものではないだろうと思います。
普段のお二人の会話や接し方など、エッセイに書かれたできごとの前後までもが想像できるようでした。普段、親の想いをくみとっているだろうか、自分はもう一人前だと思っているだけではないのかと読み手に考えさせてくれそうです。
文章だけで読むのもいいですが、これはイラストでも見てみたい! 私に絵が描けるなら、頭の中の再現ドラマを描くのですけれどね。

■「なかまぁるShort Film Contest 2020」はこちらから

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