認知症とともにあるウェブメディア

もめない介護

“外面バッテリー”が切れると「左折」連呼 まるでカーナビ もめない介護85

コスガ聡一 撮影

義父の葬儀が終わりました。火葬後の収骨を終え、義父の遺骨や仮位牌とともに、斎場のエントランスに向かいます。特に誰かが代表して挨拶をするわけでもなく、なんとなくわらわらと集まって、お互いをねぎらい、健康を祈り合いながら、三々五々に解散。葬儀の終わり方ってこんな感じでしたっけ……? 

認知症の義母は、義父の遺影に対する興味がすっかり薄れてしまったのか、「持ってて」と写真立てをポンと寄こして、そのまま親戚とのおしゃべりに夢中になっています。

「あなたは……2番目の娘さん?」
「ちがいます。長女です」
「あら、よく似ていらっしゃるから間違えちゃったわ」

こちらも読まれています:ラウンドガール?義母が遺影を高々と掲げ「こちらです!」

本当に見間違えたのか、名前が思い出せないから適当に話をつないでいるのか、正味のところはわかりません。でも、義母はニコニコと機嫌良くしゃべり、親戚を次々に引き留め、話しかけています。お相手も特に戸惑う様子もなく、和やかな雰囲気で話が続くものだから、こちらとしては切り上げるタイミングをすっかり失っていました。そうこうしているうちに、義姉がタクシーの到着をきっかけに離脱。

「ママ、タクシー来ちゃったみたいなので、行くね。今日はどうもありがとう! 元気でね、またね!!」

そう言って去って行く義姉の後ろ姿を見ながら、義母は「慌ただしい子ねえ」と苦笑い。「あれでもずいぶん落ち着いたんですよ。でも、ちょっと声が大きいわね。もう少し周囲に気を遣えるようになるといいんだけど」などと、ちょっと芝居がかった口調で嘆いてみせ、周囲の笑いを誘ってました。嫁にはかなり気を遣ってくれる義母ですが、実の娘となると遠慮会釈のカケラもありません。

いよいよ電池切れ!? “外づらバッテリー”

そして全員を見送ったところで、われわれもレンタカーに義母を乗せ、義母が暮らす有料老人ホームに送っていくことになりました。まずは後部座席に義母を座らせ、次にその隣に義父の骨壺(骨袋入り)を乗せて、それぞれにシートベルトを着用。義母の着替えや自分たちの荷物に加えて、会場装花のおすそわけも山のように渡され、車中はあっという間に手狭になってしまいました。付き添いの介護士さんとは現地解散だったので特に問題はありませんでしたが、介護士さんも一緒に乗る予定だったら、普通乗用車よりもひとまわり大きく、荷物をたっぷり載せられるような車種が必要だと感じました。

レンタカーは比較的、サイズにゆとりのあるものを選んでもらったつもりでいましたが、あれこれ乗せると思いのほかかさばります。義母は花束が気になるのか、あっちをごそごそ、こっちをごそごそ。

「こんなところに花を置いておくと枯れちゃうと思うんだけど……!」
そう言ってしきりに心配しています。

「おかあさん、戻ったら対応するので、いまはそっとしておいてくださいねー」
「ええ、わかったわ。ところで、こんなところに花を置いておくと」
といった具合にループもだんだん激しくなってきます。もしかして、“外づらバッテリー”が切れつつある……?

さっきまであんなに機嫌よさそうに親戚と話をしていたのに、車に乗り込んだ途端に不機嫌旋風が吹き荒れます。

「ここはどのあたり? あと、どれぐらいで着くの?」
「もうずいぶん車に乗ってる気がするけど、いつ家に帰れるの?」
「ここってどこ? うちの近くのような気がするけど……?」

交差点の度に、左折を指示する「カーナビゲーション」

斎場から有料老人ホームまでは車で1時間近くかかります。最初は景色の話をしたり、「あの看板、なんでしょうね」などと話しかけ、なんとか義母の気をそらそうとしていましたが、次第にこちらも気力が持たなくなってきました。もういいや……と黙っていると、義母はじれったくなったのか、ますます質問がヒートアップ。

車が信号で止まるたびに「あの信号のところには何て書いてあるの?」。そして、「そこで左に曲がるんじゃない?」となぜかやたらと左折にこだわります。どうも義母は交差点を左に曲がると、自宅があると信じて疑っていないようです。

「ここはまだ左に曲がるところじゃないかな。あと30分ぐらいで着くよ」
黙りこんだわたしの代わりに、夫が義母に話しかけてくれますが、それでも義母の気持ちはおさまりません。

「30分もかかるの? それ、ちょっとおかしいんじゃない?」
「ほら、ここで左に曲がれば、うちでしょ?」
「どうして曲がらないの?」
「あと何分で着くの?」

やがて信号で止まらなくても、曲がり角があるたびに「ここで左」を連呼しはじめました。カーナビか! 

いまになって思えば、恐らく義母も通夜・葬儀で疲れていたのでしょう。機嫌良く振る舞い、にこやか対応し、エネルギーを使い果たしたのだろうと思います。でも、当日のその瞬間はこちらも同じような状態だったのでぐったり。義母のがんばりを優しく振り返る余裕はなく、「もういいから、黙って……」と言いたくなるのを我慢するので精一杯。

後部座席で静かに見守ってくれていた義父にも「お疲れ!」

ラスト10分は「あと何分で着くの?」とこちらも心の中で連呼しながら、カーナビの表示をずっと見つめていました。そしてようやく施設に到着。トランクから車椅子をおろし、義母に乗ってもらい、施設内に入ります。顔なじみの職員さんに「おかえりなさい」と迎えられ、一瞬ニコッとした義母ですが、すぐに表情が暗くなります。うわっ、イヤな予感と思っていると案の定、「私も一緒に帰るわよ」とドスの効いた声で宣言。久々に来ました。

「一緒に帰りたい」ではなく、脅しつけるような命令口調の「帰るわよ」です。

「その話はまた今度!」
「今日はお互い疲れているからゆっくり休もう!!」
私と夫は口々に言い合いながら、車に乗り込みました。その背後から義母が叫びます。

「今日はここにいてあげるけど、明日は絶対に帰るから~~~~~!!!」

慌てることなく、にこやかに対応してくれている職員さんのおかげでなんとか離脱に成功しつつも、車中ではグッタリ。こんなことならタクシー代が1万円以上かかっても、付き添ってくれた介護士さんに施設につれて帰ってもらえばよかった。どうせレンタカーを返さなくてはいけないし、実家に義父の遺骨を持って帰るわけだから、ついで義母を施設に送っていけばいい。そう思っていた自分たちに教えたい。

疲れ切った義母とのドライブ、めちゃくちゃつらい!

「これからは長時間の移動は要注意だね」
「今回はいろいろ条件が重なったからかもしれないけど、気をつけたほうがいいよね」
「ホント疲れたね。お疲れさま」
「うん。お疲れ。親父もお疲れ!」

後部座席にちんまりと置かれた義父の遺骨に話しかけながら、帰路についたのでありました。なお、翌日に念のため、施設に義母の様子を確認すべく、連絡をいれたところ、「いつもとお変わりなく過ごしていらっしゃいますよ」。
ほうほうのテイでその場を逃げ出したのは、とにかく疲れ果てていて「無理に対応をするときつい言葉を投げかけてしまいそうだったから」というのが理由でしたが、多少強引にでも“場面を変える”という意味では有効だったようでした。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について

認知症とともにあるウェブメディア