「え!亡くなったの?」。義母が緊迫の遺族スピーチ もめない介護83
編集協力/Power News 編集部
認知症の親を通夜・葬儀に参列させるか、させないか。事前にインターネットで調べたときには「参列させるとしても通夜のみ」という意見が多く、中には「対応しきれないので、参列はさせない」「そもそも、亡くなったと伝えない」といった声もありました。
わたしの母方の祖母も認知症でしたが、親族に不幸があったとき、「通夜のみの参列」にしたと母から聞いていました。「通夜は人の出入りも多く、途中で座っていられなくなったとしても、席を外すことができるから」というのが、その理由でした。
こうした体験談を見聞きしていたことから、なんとなく「通夜はさほど大変ではない」というイメージを抱いていましたが、実際には想像以上のてんやわんやが待っていました。家族の付き添いだけでなんとかなると言えばなんとかなるけれど、頼めるものなら介護保険外サービスのヘルパーさんを自費で頼むなどの“対策”を考えてもよかったかも、と思うぐらいには気疲れしたのです。
「おとうさまはどちらにいらっしゃるの?」
「こちらです」
「ええ!? まさか亡くなったの?」
「その通りです…」
「どうして亡くなったの?」
「老衰です」
「ええ!? まだ60歳なのに…?」
「92歳です」
「ええ!?」
義母とのそんなやりとりを通夜の日だけで何度繰り返したかわかりません。
一方、翌日の葬儀は、義母が暮らす有料老人ホームで顔なじみの介護士さんが付き添ってくれました。それがどれだけ救いになったことか。いつもよりも一層激しく揺れ動く義母の記憶と、隙あらば転びそうになる動き。これらを家族だけでフォローするのは至難の業だと感じました。
親族代表あいさつで立派に話す義母だったが
ただ、葬儀そのものはトラブルらしいトラブルもなく、粛々と順調に進んでいきました。悩んでいたのは、遺族代表の挨拶です。当初、喪主である義母にまず話してもらい、夫が話を引き取ってまとめるというやり方を考えていました。しかし、義母の様子を見ていると、義父の死をどこまで認識しているのか、受け入れているのかわかりません。ギリギリまで悩み、夫のみ挨拶するという結論になりました。
法要がひととおり終わり遺族代表の挨拶が始まった時、義母は静かに、そこにたたずんでいました。今、どのような思いでいるのか、表情からは読み取れませんでした。しかし、夫が挨拶を終え「おふくろ、しゃべる?」と声をかけると、ためらいなくうなずき、スッと手を差し出してマイクを受け取りました。
「本日はみなさま、ありがとうございました。本当に急なことで……わたしも大変驚いております。急に人が亡くなるということは本当に悲しいことではありますが、でも、遺された者は泣いてばかりもいられません」
会場内に、義母の凜とした声が響きます。練習をしたわけでも、台本があるわけでもない、完全アドリブでの見事なスピーチに舌をまく思いで、聞き入っていました。
どうも雲行きが怪しいぞと気づいたのは、「まさか、わたしのような若輩ものが、こんなスピーチを任せられるとは本当に考えてもみませんでした」と、義母が謙遜しだしたあたりからです。
アハハと笑いながらの明るい“花入れ”
思い出として語られるエピソードの登場人物も、「最後は、姉たちが本当によくしてくれて、しょっちゅう見舞いにも来てくれました」など、微妙に食い違います。でも、葬儀に出席しているのは親族ばかり。多少、義母がつじつまの合わないことを言ったところで、誰も怒りはしないはず。ドンマイ、ドンマイ! そう思って、止めることなく最後まで話しきってもらうことに。
堂々としていて立派なスピーチなのに、どこかちぐはぐした印象。その謎がついに解けたのは、「亡くなった父も、きっと喜んでいることと思います」というフレーズ。義母は、夫を亡くした妻としてではなく、父を亡くした娘としてスピーチをしていたのです。
そんな義母を、参列者のみなさんは温かく見守ってくれました。挨拶を終え、「けっこう長くしゃべったね」と夫が声をかけると、義母は「急に振るんだもの。ひどいわよ!」と、げんこつでぶつフリをするなど、ふざけています。すこぶるご機嫌ですが、これから義父の棺に皆でお花を入れるため、またまた棺のなかの義父と対面するけど、大丈夫……?
義父の棺にはたくさんの花とともに、大好きだったチョコレート、軍歌集、遠い昔に孫からもらった手紙などを入れる予定でした。
義母は棺の中にいる義父を見ても、とくにショックを受けたような様子はなく、「チョコレートはこのあたりに入れたらいいんじゃない?」とその場を仕切りはじめます。誰かが顔の近くに花を置こうとしたら、「顔の近くはかゆくなるからやめてあげて」と注意するものだから、みんなウフフ、アハハと笑いながらの妙に明るい“花入れ”となりました。
鶴の一声で、棺から取り出された軍歌集
そして最後に、義父の手元のあたりに軍歌集をそっと差し込んだところで、「それ、入れるの!?」と義母から、“待った”がかかりました。
「おとうさんが軍歌集がお好きで、病院に入院していたときも、施設でも手元に置かれていたので……」
しどろもどろになりながら答えると、義母は大真面目にこう言ったのです。
「でも、紙だから焼けちゃうわよ。もったいないわ」
「な、なるほど。では、軍歌集は棺の中には入れないほうがいいですかね」
「入れないほうがいいと思うわ。だって、燃えちゃうから!」
あまりにあっけらかんと言うものだから、隣で聞いてた夫や義姉、孫たちも苦笑い。
「おとうさん、ごめんなさい。おかあさんが、ああおっしゃってるので、軍歌集は引き上げさせてください」
「親父も、おふくろがそう言うならしょうがないって言ってくれるよ」
そんなことを言い合いながら、いったんは棺の中に入れた軍歌集を取り出し、バッグにしまいました。義母はその様子を見届け、満足げにうなずいています。思いがけないストップが入って驚きましたが、あとになってから、「あれは棺に入れてほしくなかった……」と言われるよりも、よほど良かったかもしれません。
子どもが良かれと思ってとった行動が、親の気持ちに添わないこともある。これまで何度も直面してきたそのギャップは、火葬に向かう、出棺直前というタイミングでもお構いなしに、当然のように生じうるのだと知りました。通夜でさんざん驚き、もう十二分という気持ちでいましたが、葬儀は葬儀で驚いてばかり。大きなトラブルがなかったのは喜ばしいことですが、ただただ“あ然”としていたのです。