「これ分かる?」妻の質問攻めは「ありがた負担」 たまには一人で診察室
執筆/松本一生、イラスト/稲葉なつき
市川 正一郎さん(72歳):通院していて感じること
大阪の下町で、松本一生先生が営む「ものわすれクリニック」。いつもは2人で受診する夫婦が、今回は当事者1人だけで訪ねてきたようです。さて、先生はどんなエールを送るのでしょう。
妻に試されるのがつらい
こんにちは市川さん、いつも奥様とご一緒の来院なのに、今日は市川さんお一人での来院なんですね。珍しいなと思いましたが、先ほど社会福祉士から、市川さんがひとりで来られた理由をお聞きして、大変申し訳なく思いました。いつも奥さんが一緒なので、今日はご自身の素直な気持ちをひとりで話したいと思われたのですね。
うちの診療は、初診から一人で来院され「私の物わすれの悩みを聞いてほしい」と希望する人には、もちろん、その人とボクが向き合う、短時間の精神(心理)療法をしています。また、市川さんと奥さんのように家族が同席した後、ご本人が検査を受けている間に、ケアについて奥さんと話していることもご存じですね。
でも、ボクは市川さんの場合に、とても大切なあなたの気持ちを忘れていました。どのような診療を受けたいかを決めるのは奥さんではなくて、市川さん自身ですからね。常に奥さんとの同席面接(診療)では言えないこともあると思います。時には奥さん抜きで、自身の気持ちを伝えたいと思うのは当たり前です。気づかずごめんなさい。
夫のためとはいえ……
奥さんは市川さんが自宅にいるときには、一時たりともそばを離れず、常に「これはどうするんだった?」「こういう時にはどうするの?」と一つひとつのことを聞いて、毎日、「100引く7はいくら?」と聞いてきますか。
奥さんは普段の診察でボクには「夫の症状をできるだけ進めたくない」と言っておられます。とても熱心な介護者ですね。その気持ちを「ありがたい」と思う反面、時には負担に思っているというわけですね。なるほど、奥さんが同席されていると、この話はテーマにできませんね。
熱心な介護者の場合、一生懸命介護しているにも関わらず、当事者が悪くなっているのではないかと心配のあまり、無意識に確認してしまうことがあります。奥さんもそういう自分を認識していないかも。それなら次回にでも(市川さんが言ったとは告げないで)こちらから奥さんを傷つけないようにさりげなく話してみます。
診療で受けたくないこと
とくに市川さんは力を試されるように、毎日、質問されるのが嫌なのですね。ご主人を思えばこその行動なのですが……。私たち医療者側から考えても検査は大切で、その結果をみて市川さんの経過が良くなるように努力しているのですが、ボクは検査の回数が増えすぎないように心がけています。医療者としては必要な検査であっても、検査を受ける人の側に立ってみると「毎回、検査されるのが嫌だ」と思うのはあたりまえのことです。
ボク自身、(今はパーキンソン症状がある)妻が健康だった時、ボクの「うっかり忘れ」に対して何度も頻繁に試してきたことがありました。あの時、自分が専門医であっても内心イラつきました。だから市川さんの気持ちはわかります。
認知症は一様に『ダメになる』病気ではない
世間では、認知症になるとどのような力も低下するとよく誤解されていますが、病気になっても「できること」はたくさんあり、それまでと変わることなく日々のことができる場合が少なくありません。一方でいろいろと「できなくなること」が出るのも現実ですから、しっかりと情報を周りのみんなと共有することが大切です。
気を付けたいのは、できるかどうか何度も問い詰められ、認知症当事者が自信をなくすことです。当事者が自信を無くしてしまうと認知症の中核症状が悪化することが多く、いかに自信を保つことができるかが大事なのです。
診療の約束ごと
今日、市川さんから話を聞いて、ボクも自分が気づかずにやって来た診療のクセを反省しました。当事者から悩みを打ち明けられれば、それに対応しようとするボクがいますが、いつも家族と同席で受診される方にはつい、家族との話に重点を置いてしまっていました。これからはいつも当事者、家族両者に目を向けながらバランスの取れた診療体制を心掛けたいと思います。
次回は「恥ずかしさと自負心のはざま」について書きます。