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ついに収束 認知症の義父母宅からガスコンロが消えた日 もめない介護65

テニスコートのイメージ
コスガ聡一 撮影

義父母が認知症だとわかったときから、ずっと懸念材料だったもののひとつに「火の始末」問題があります。以前、このコラムでもとりあげましたが、ケアマネジャーさんに相談したところ、「IHクッキングヒーターや電磁調理器への変更」「ガス栓を止める」という手段は、いずれも義父母にはフィットしなさそうだという結論に至り、断念。立ち消え防止機能付きの新しいガスコンロに換え、火災報知器も刷新し、恐る恐る様子を見る日々が続いていました。

「お父さまが最近、火を消し忘れるのよ。ホント困りものよね」
義母がそう言って口をとがらせるのを見るたび、ドキリとしたものです。ただ、その一方で義父からも同じように、「家内が火を消し忘れて困る」と聞いていたので、“お互い相手のことは気になる”かつ、“注意を払い合っている”のだろうなとも思っていました。

一番ハラハラしたのは、義父が風邪をこじらせて肺炎を起こし、在宅酸素療法が必要になった時です。電気で動く「酸素を濃縮する装置」を室内に置き、チューブを通して鼻から吸入するのですが、このマシンを使って濃縮酸素を吸っているときは火気厳禁。うっかりタバコに火を付けたりすると、引火事故になると注意されました。

“ガスコンロからの卒業”は可能か

幸い、義父は喫煙者ではないので、タバコの心配はありません。しかし、酸素吸入用のチューブはかなり長く、ある程度は室内を移動できます。義母に「あなた、お茶を入れますよ」と繰り返し呼ばれたら、台所に行ってしまうかもしれません。「ガスコンロには決して近づかない/近づかせないように」と医師が説明してくれ、貼り紙もしましたが、義父と義母が忘れてしまったら……? 義父の緊急入院が決まった時は、目が回りそうな慌ただしさがあった反面、水分補給や投薬の管理、なにより火の始末の不安感がなくなるという開放感もありました。

そして、義父の入院から介護老人保健施設(老健)でのリハビリ生活を経て、義父母が夫婦そろって自宅に戻った2018年6月。ついに「火の始末」問題に大なたを振るうチャンスが訪れました。

多くの施設でもそうですが、義父母が暮らしていた介護老人保健施設(老健)は火気厳禁。つまり、義父母は老健を退所する時点で数カ月にわたって、自分たちで火をつけたり、消したりすることがない生活を送っていました。

この機会に“ガスコンロからの卒業”を実現するのはどうか。前々から「ガス栓を止めたい」と言っていた義姉はもちろん、「むりやり生活習慣を奪う悪影響のほうが気になる」と懸念していた夫も賛成してくれました。
さらに、思い切って義父に相談してみると、「僕も、ずっと火の不始末が気になっていました。家内は嫌がるだろうけれど、もう使わないほうがいい」と、二つ返事で承諾してくれたのです。

義母の性格を知り尽くした義父からのナイス提案

さらに、義父からはこんな提案もありました。
「“使ってはいけない”といっても、言うことを聞かないだろうから、“壊れて、ガスコンロが使えない”と説明するのはどうだろうか」

おとうさん、ナイスアイデア! 何十年も連れ添い、義母の性格を知り尽くしている義父だからこその意見です。たしかに義母は一見、穏やかで上品な雰囲気ですが、負けん気の強さはかなりのもの。老健で暮らしていたときも、「あなたがたには一体、どういう権利があってわたしの行動を制限しているのですか!?」と、職員さんに詰め寄ったこともあったと聞いています。

「ガスコンロが壊れてしまった」という理由なら、義母のプライドを傷つける心配はありません。ただ物理的に器具が使えなくなっただけであって、義母の家事能力やもの忘れとは一切関係がないからです。これだ……!

実はヘルパーさんからは、「ヘルパーがいるときだけガスコンロを使い、帰るときにガス栓を締めればいいのでは?」という提案もありました。ガスコンロが使えなくなり、電子レンジのみになると、自宅でできる料理のバリエーションが限られるというのが、その理由でした。

もっともな意見でしたが、義母の性格を考えると、ヘルパーさんがガスコンロを使っていれば、当然、自分も使ってOKと考えるはず。百歩譲って、その場では納得したフリをしたとしても、ヘルパーさんが帰ったら、すぐさまガス栓を開けることでしょう。いくらこっそりガス栓を締めたとしても、めざとく観察し、自ら開栓するか、義父に開栓するよう、頼むに違いありません。

「ガスコンロが壊れているのに、おとうさまが全然動いてくれない」

ガスコンロ卒業を踏まえて、自宅に戻るタイミングで、デイケア(通所リハビリ)に通う回数を週4回に増やしました。「おとうさんの身体はまだ本調子ではないのでリハビリが必要」と説明すると、義母もしぶしぶ納得。デイ通いがある曜日は、昼食も出るので安心です。デイがない日はこれまで通り、麺をゆでなくとも、水でほぐすだけで完成する「流水麺」が活躍しそう。ヘルパーさんとも相談し、できあいのお惣菜を適宜足していく作戦をたてました。

さらに、以前は週に4回利用していた宅配弁当を「毎日」に変更。これもまた、「おとうさんに元気になってもらうためには、バランスのとれた食事が欠かせないのでなんとか……」と頼み込み、義父母の了承を得ました。これで夕飯の心配はありません。朝食はもともと、トーストにハム、野菜、ヨーグルトと、火を使わないものが中心です。

こうして、包囲網を張り巡らせるようにして迎えた、“ガスコンロ卒業”の日。義母には、「ガスコンロが壊れてしまい、火がつかない」と何度か説明しましたが、納得がいかないようです。

「ヘンだわね。これ、どうにかなっちゃったんじゃないかしら」

ブツブツ言いながら、スイッチをひねっています。根比べのように「壊れているんです」「おかしいわね」を何度か繰り返したところで、義父が「ガスコンロは壊れた……!」と鶴の一声。すると、どうでしょうか。あんなに執着していた義母は「じゃあ、しょうがないわね」とあっさりコンロの前を離れたのです。

その後も、義母から「ガスコンロがおかしい。火がつかない」「修理を呼んだほうがいいんじゃないかしら」という訴えはたびたびありました。「ガスコンロが壊れているのに、おとうさまが全然動いてくれない。どうかしちゃったんじゃないかしら?」と、心配の矛先が義父に向かったことも。ただ、そんなことを言われても、義父は黙して語らず。“動かざること山のごとし”な姿勢を貫いてくれたおかげで無事、ガスコンロ卒業にこぎつけることができたのです。

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