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診察室からエールを

最初はうつ病、後から若年性認知症。できること、したいこと、課題と希望

ダチョウ

中村 健吾さん(50歳):若年性認知症ゆえの悩み

大阪の下町で、松本一生先生が営む「ものわすれクリニック」。今回は、大学病院の診断に納得がいかず、いろいろなところを受診してきた中村さんが訪ねてきたようです。さて、先生はどんなエールを送るのでしょう。

診断の難しさ、受診のタイミング

今日は中村さん、初診まで予約を待っていただいて時間がかかり、大変申し訳ありませんでした。中村さんのこれまでの受診歴を見るとずいぶんたくさんの病院にかかってこられたのですね。最初に医療機関を受診したのが9年前になっています。いくつもの病気を繰り返してこられたのでしょうか。え? ひとつ(気分の沈み)だけだったのですか。何度も気分が沈み、その後「ものわすれ」が目立ってきたんですね。

中村さんが9年前に「気分の沈み」を市民病院に訴えられた時は、眠れなくて、食事も食べられず痩せてきましたか……。何をするのも嫌になって「自分が生きていることが悪く思えた」時期もあったのですね。

うつ病との鑑別

今、当時のご様子をお聞きすると、まさに「うつ病」です。病院で「うつ病」の診断がついたのは、ある意味では当然のことだったでしょうね。精神科の診断基準というのは、精神科医師の個々人によるイメージの診断では統一した診断名が出にくいことから、いくつかの点を満たせば「認知症」、「うつ病」と一定の診断が下るようにしているのです。日本では現在、ICD-10という国際基準に基づいて診断されます。大学病院なら、よりそのような診断基準に沿って診断されますから、当時は「うつ病」になったのでしょうね。

うつ病にも思考制止(しこうせいし)といって、思考の回転が「ゆっくり」になってしまう状態があり、認知症と間違われやすいんです。今ではそういった場合、後に認知症になることが少なからずあることが知られています。現在では不安障害、うつ病、幻覚妄想などの状態の人が受診されると、その後に認知症が出てこないかをしっかりと見ながら診察してもらえます。

中村さんの場合には大学病院の診断に納得がいかなかったご家族(妻)の意見もあって、いろいろなところを受診したようですね。私は中村さんのご依頼(告知希望)に基づいて「若年性アルツハイマー型認知症(初期)」であることをお伝えしました。これから、気分の沈みが軽くなり、その代わり物忘れが進まないように、中村さん、奥さんもいっしょに考えていきましょう。

社会制度も活用を

その時、若年性ゆえに注意しなければならないことがたくさんあります。まず、この間に会社での中村さんの立場は変化しませんでしたか。差別とまではいかなくても、周囲の人がコソコソ中村さんのことを特別扱いすることや、会社でのポジションが突然変わるようなことがあるならば、私たち医療側が人事や産業医の先生と連絡を取り合うことも必要になります。

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また、経済的な面や子どもの学費、塾の費用も課題です。若い時代に認知症になったからと言って、すぐに仕事ができなくなるわけではありません。できる仕事は続け、そのことを会社や同僚にも理解してもらいましょう。

かつて担当した若年性(血管性)認知症の女性(51歳)は、家族の協力も得ながら大学生だった娘さんが卒業するまで働くことができました。そのために必要なのは周囲の理解と社会制度の活用です。クリニックは医療機関ですが、最も大切な仕事の一つにケースワークがあります。社会福祉士が受診の際に相談に乗り、活用できる福祉制度や障害年金などを活用することで、中村さんや奥さんの経済的負担が軽くなるからです。もちろん介護保険でもそういった相談ができますが、一般的には「高齢者」向けの情報が多いので、中村さんは若年性の人が活用できる情報を求めてください。

若年性認知症ゆえの安定も

最後に、若年性認知症の人は病気が早く悪くなると一般的に言われていますが、必ずしもそうではありません。ある程度の進行は避けられませんが、その後、若くて体力があるため、一定程度に進行した後、高齢者と比べても状態が安定して、長く安定した状態で日々を送ることができる人も少なくありません。私が担当した人も今年で12年、19年経過して安定している人もいます。

絶望から得られることはありません。希望をもって医療や介護、福祉と一緒にこの先の人生を考えていきましょう!

次回は「通院していて感じること」を書きます。

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