部下の態度が変わった 妻は更年期障害 自分の病気は誰にも言えない
執筆/松本一生、イラスト/稲葉なつき
杉野 学さん(57歳):会社で変わった雰囲気
職場での努力
こんにちは、初めまして。杉野さんは会社で部長職をしておられる「現役」なんですね。ここは「認知症ではないか」と心配になった人が訪れるところでもありますので、受診は大歓迎です。
いつも出社は午前7時半ですか。それはとてつもなく早いですね。出社して海外とのパソコンでの連絡とか、仕事があるのですか。
そうですか、いつも早めに出社して他の人が来るまではデスクで、その後はトイレのブースにこもって、今日の仕事で使う資料や要件を覚えているのですか。大変ですね、そうしなければその日の仕事の全体像を覚えておくことができないということですね。それが始まったのが2年前、よく日々の不安と向き合って来られましたね。
部下の態度が変わった!
この診療所を受診する前に何かあったのでしょうね。杉野さんに対するうわさが社内で広がったために、職場に居づらくなったのですか。部下の皆さんも悪気があったわけではないと思います。でも、あなたが「変な雰囲気だ」と感じたように、おそらく部の皆さんは「部長が朝早く会社に来て、長い間、トイレのブースから出てこない」という状況ですから、杉野さんが聞いて驚いたように「部長はストレスから過敏性腸症候群になって、トイレに入り浸ってぶつぶつ独り言をつぶやいている」という誤解になったのでしょうね。
ボクも杉野さんの立場であれば同じようにすると思いますよ。だって、この先の仕事をしっかりと覚え込むために、敢えて言葉に出して予定を覚えようとしたのだと思いますから。その努力がかえって誤解を生んだとしても、それはあなたのせいではありません。
家族に伝えること
いかがでしょう。その苦しい胸の内をこうして医者のボクに伝えてくれたことは、とても勇気があることだと思います。それにこの先、診断をして病気が始まっているとしたら、会社にもそのことを理解してもらって、杉野さんの立場を守り、就労がこの先も続けられるように協力したいと思います。そのためにはまず、ご家族に伝えましょう。奥さんと息子さんがお二人いらっしゃるのですね。
彼のこころの中は
え? 家族には伝えたくないのですか? どうして? ご自身で悩まず、ご家族の理解の中であなたが安心できる体制が大切だと思います……。
そうなのですか、奥さんは更年期障害が続いていて、杉野さんがそういった事情を話すと「寝込んでしまうかもしれない」と心配で言い出せないのですね。
息子さんお二人は海外留学ですか。医学部と社会学部ですか。留学費用も学費もとてつもなくかかりますね。杉野さんの事情を聞けば勉学を中断して帰ってきて、経済的にご両親を支えようとしますか。良い息子さんだけに、何でも素直には話せない状況ですね。
病気と向き合う覚悟
さて、杉野さん、ボクは専門医の立場であなたとの治療同盟を結ぶことになります。もし、あなたが病気だった時には、ね。その時、杉野さんのプライバシーを守り、あなたが希望するように治療方針を立てることが最も大切ですが、普通の場合、当事者だけではなく家族との連携で「伴走体制」を作るのですが、今回はいつもと状況が異なります。
杉野さんとだけ話をして今後の体制を作るなら、ボクと約束してください。どうしてもご家族に説明や同意が必要になった場合には、判断をさせてください。それまではあなたとだけ経過を見ていきましょう。必要になった場合にご家族に示せるように、これからいくつかの検査を進めます。画像検査を中心にした検査、いくつかの神経心理学的検査、そしてあなたとの面接に基づいた症状(症候学的)検査、その3つがそろって、しっかりとした診断のエビデンスを残しましょう。
杉野さんの仕事を守れるよう会社とも相談し、社会福祉や制度的なことは社会福祉士が担当します。長いおつきあいになるかもしれません。それでは、まず、検査をしてあなたの心配が病気なのかどうか、見極めましょうね。