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義母が企てる「愛の大脱走」肺炎入院の義父のメッセージは? もめない介護51

木々に覆われた石畳の散歩道のイメージ
コスガ聡一 撮影

「息子たち夫婦も泊っているはずなので、呼んできてください」

義父の入院をきっかけに、有料老人ホームに緊急入所することになった義母は入所の翌朝、早々に職員さんにこうリクエストしたそうです。どうやら義母の認識では、いつの間にか、施設ではなく、ホテルに泊まっているという設定にすり替わっていたようです。道理で帰り際に、引き留めることも一切なく、すんなり見送ってくれたわけだと、納得がいきました。

「『息子さんたちは仕事があって帰りました』とお伝えしましたが、よろしかったでしょうか?」と、施設から確認の電話がありましたが、答えに詰まります。これって、どうなんでしょうか……。

「なにを言ってるんですか、ここは施設ですよ」と義母の言葉を否定するよりはいいような気もしますが、「帰りました」と言われて、義母が納得するのかどうか。「認知症があるから、ほどなく忘れるはず」という思い込みがあるのでは……? という懸念もありました。

義母はたしかに認知症だと診断されています。スコーンと記憶が抜ける瞬間も、思い込みが激しいことも多々あるけれど、印象深いことはきっちり覚えている。“その場しのぎ”が通用しづらいのです。

「こんなときにゆっくり休んではいられない」

職員の方と話した後、改めて義母に電話をかけました。いつもなら快活でノリノリの義母ですが、このときばかりは意気消沈。話し始めた直後は言葉もおぼつかず、「え、認知症ってこんなに早く進むの……」と、こちらも心臓バクバクです。幸い、10分間ほど経ったあたりからシャキーンと覚醒。話すスピードもアップし、いつもの調子が出てきました。義父の病状についても、思いのほか正確に理解していました。

もっとも、施設暮らしに納得しているわけではまったくありません。
「お父さまの様子が気になるのでお見舞いに行きたい」
「お父さまの病状が悪くなったとしても、きっとみんなは気を遣って隠すと思う」
「みんな『療養してください』と言うけれど、こんなときにゆっくり休んではいられない」

義母の言うことは、もっともなことばかり。ただ、義父の入院騒動と手続きで、こちらもいっぱいいっぱい。「では、今日にでもお見舞いに行きましょう」と言える状況ではありませんでした。しかし、日に日に不安が高まる一方の義母を放っておくのも気がかりです。にっちもさっちもいかなくなったわたしたち夫婦を救ってくれたのは、姪たち(義姉の娘)でした。

義母のもとに駆け付けて、なだめてくれた姪たち

義父母が置かれている状況を知らせ、「無理せず行ける日がもしあったら、なるはやのタイミングでお願いできるとありがたい」と伝えたところ、ふたりの姪たちがそれぞれ、義母のもとに駆け付けてくれました。

そして、義母の話に耳を傾け、「家族に連絡をしたいのに、電話番号がわからない」「誰に相談していいかわからないから不安」など、こちらがキャッチしそびれていた不安の原因を聞き出してもくれました。また、「今日こそお見舞いに行かなくちゃと思っているの」という繰り返し訴える義母に対しても、ナイスな切り返しを連発。「今日は雪がたくさん降っているからお出かけには向かないかも」「夜にはお母さん(義姉)が来るので、おじいちゃん(義父)の様子はそこで聞いたほうがいいんじゃない?」などと伝え、義母をなだめてくれました。

そして、姪たちから教えてもらった情報をもとに、義母の部屋には連絡先の張り紙を貼ってもらうなど、対策を講じました。1日に何度も電話がかかってきたらきついな……という思いも、一瞬頭をよぎりましたが、背に腹は変えられません。「電話をかけようと思えば、いつでもかけられる」となれば、義母の気持ちも少し落ち着くのではないかという、淡い期待もありました。

「今日こそは……」脱走予告を繰り返す義母

さて、ふたをあけてみると、どうだったか。こんな結果が待っていました。

「今日こそは、ここを抜け出して病院に向かうつもりです」
「病状は良い方に向かっていて、お見舞いのタイミングも医師と相談しているので、もう少しだけご辛抱ください」
毎日のように、義母とそんなやりとりをしていました。実際のところ、ちょうどインフルエンザが流行っていて、病院では高齢の方のお見舞いに慎重になっていた時期でもありました。

説明すれば、その場はいったん納得してくれるものの、その効果がもつのは半日~1日程度。しばらく経つと、「今日こそは抜け出して……」という“脱走予告”の電話がかかってきます。

それでも数分おきに電話が鳴るよりもマシ。電話に出ないと、余計に不安になってジャンジャンかけたくなるかもしれないから、可能な限り電話に出よう。そう励まし合いながら、対応していました。

義父から義母へ「愛のメッセージ」

また、義父には入院先のベッドの上で、義母へのメッセージ動画の撮影に協力してもらいました。

義母が連日、脱走予告の電話をかけてくると話すと、義父は「彼女らしい」と苦笑い。そして、こんな動画を撮らせてくれました。

「いまのところで、しっかり養生して元気になってくれることがとってもうれしいです。
楽しく生活していてください。よろしくお願いします。
心配しているより、そのほうが安心してうれしいです。よろしくお願いします」

30秒程度の短いメッセージです。当時の義父は熱こそ下がったものの、鼻にはまだ酸素吸入チューブが入っているし、点滴も続いていました。そんな中でも義父は笑顔で、義母を励まし、なだめ、エールを送ってくれたのです。

この動画を家族全員で共有し、義母の面会の際、繰り返し見せました。「よろしく、よろしくって、政治家みたいね」と言いながらも、義母は嬉しそうでした。そして、“脱走予告”はそう簡単にはなくならず、その後も繰り返しドキッとさせられましたが、なんとか実行に至らせることなく、義父の退院を迎えることができたのです。

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