認知症とともにあるウェブメディア

受賞監督インタビュー

86歳の熱演で「こうなりたい」を描く 短編映画30年の監督が明かす秘話

小野光洋さん
小野光洋さん

「出席をとります」
誰もいない公園で、そんなおじいさんの声が聞こえてくる。公園にいた女子学生が声を掛けに行くと、「ここは学校だろ」。
別の日もまた、同じような言葉が聞こえてくる。女子学生が近づくと、「さあ、授業を始めようか」。おじいさんは、なんだか嬉しそう。
「英語を学べば、世界中の人たちとコミュニケーションできるようになるでしょう」流暢な英語。自信に満ちたその姿からは、心からその時間を楽しんでいる様子が伝わってくる。

小野光洋さんの短編映画『英爺』を観ていると、自分の身近な人の瞬間瞬間の表情を思い出す。90代になっても筆を持つときだけは活き活きとしていた、絵を描くことを生業としていた祖母のこと。定年後も、我先にと英語で人助けをしていた知人のこと――。きっと作品を目にした誰もが周囲の人の顔を思い浮かべるに違いない。不思議な引力を持つ作品であり、誇りやプライドといったものがいかに人を輝かせるかということを再認識せずにはいられない作品だ。

小野光洋さん

「これは、いわゆる当て書きなんですよ」
小野さんはそう振り返る。聞けば、作中のおじいさん「銀次郎さん」を演じた井上富夫さん(86)は、米国の雑誌「TIME」の営業担当として、タイ、インド、そしてヨーロッパと長く海外で過ごした経験を持つ。小野さんとの付き合いは15年以上に及ぶ。
「お酒を飲むといきなり英語で話し始めるんです。僕は英語が得意ではないので、よく『それじゃダメだ』と言われて。ちょっとプライドが高くて、撮影中もこちらが色々心配しようものなら『大丈夫、大丈夫』と言うのが井上さんの口癖(笑)。とても活き活きと演じて下さいました」

『英爺』のワンシーン

おじいさんは、次第に女子学生チカの“専属英語教師”になっていく。おじいさんが何度も口にしていた「マリさん」の秘密がわかるラストも秀逸だ。

撮影は40℃を超える夏の暑い日の2日間。決めていたのは、「銀次郎さんが初期の認知症である」ということだけだ。「授業を始めようか」という言葉は小野さんがあらかじめ決めていた台詞だが、ほかの多くは井上さんに委ねた。作中の「英語を勉強して何年になりますか」という英語の台詞は、現場で井上さんの口から自然と発せられたものだという。
ありのままの井上さんが映し出されているからだろうか。銀次郎さんは家庭でどんなふうに家族と会話を交わしているのか、そこまできちんと想像を膨らませることもできる。

小野光洋さん

小野さんは30年以上にわたり、短編映画をつくってきた。日本各地で開催される映画祭のテーマに合わせ、脚本を練る。1ヵ月に1、2本のペースで映画を撮り続けている。

映画はリアルじゃなくていい。観る人の心に届く『こうなりたい』を描く

じつは小野さんが「認知症」をテーマにカメラを回したのは二度目。一度目は、看護学部の大学院生に「認知症の家族に向けた映像を撮ってほしい」と依頼を受けたとき。昨年「なかまぁるショートフィルムコンテスト」向けの作品を撮ろうと企画を立ててからのことだ。このとき、現役のヘルパーさん2人、そして当事者を家族に持つ男性1人を取材した。
「実際に話を聞いてみると、『いかに大変か』という話が全体の8割、9割を占めていました。でも、自分が一からつくりだす作品では、そうしたネガティブな話は入れないでおこう、と。『認知症にはいくつかの段階がある』とヘルパーさんから聞いたこともあり、『初期の症状だけをイメージして描こう』と考えたんです」
自身の映画づくりのコンセプトとして、「ネガティブな面よりもポジティブな面を描きたい」という強い想いがある。
「映画はリアルじゃなくていい。リアルじゃないほうがいいんです。でも、そこに『こうなりたい』と思えるものが描けていたら、観る人の心に届けることができるのではないか。とはいえ、ネガティブな部分もまったくないと、ポジティブな部分が光らない。そこは毎回、格闘しているところです」
銀次郎さんが一時行方不明になるシーンは、それらのバランスを考え敢えて入れることにしたという。

授賞式で、プレゼンターのLiLiCoさんから賞状を授与された

小野さん自身は、2年ほど前に父を亡くした。父は介護が必要となり、年齢を重ねるにつれ、外を眺めることに多くの時間を費やすようになった。その姿は鮮明に覚えている。
実家には1ヵ月に一度ほどしか戻っていなかったんです。僕は、介護から逃げていたんですね。父は、ポータブルトイレに座り、ずっと庭の景色を眺めていました。それから『食事は? 食事は?』と母に聞きながら、2時間くらいかけて新聞を読んでいた。『いい天気だね』『世間の景気はどうだい?』と言うのが口癖。そんな父をモデルに考えることも少し考えたのですが、それでは映画にならないな、と思って」
でも、庭を眺めながらじつは色々なことを考えていらっしゃったかもしれないですよね。そう伝えると、こんなふうに答えてくれた。
「映画に自分をどこまで投影するか、そこがなかなか難しいのですけれど。ぼーっとしているだけの父をテーマに撮ってみてもいいのかな。考えてみます」

小野光洋さん

取材中、話題が横道に逸れても「ちょっとその話、ネタになりそうなのでメモしていいですか?」「ネタは絶対に逃しません!(笑)」と口にしていた姿が印象的だった。

小野光洋(おの・みつひろ)
1966年東京都生まれ。1985年千葉大学に入学。映画サークルに所属し、自主映画製作に携わる。卒業後も自主映画製作を精力的に続け、現在に至る。

「なかまぁるショートフィルム」 の一覧へ

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について

この特集について

認知症とともにあるウェブメディア