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もめない介護

近い人の重病や死 認知症の人を不安にさせない説明は もめない介護25

タイプライターのイメージ
コスガ聡一 撮影

「母にどこまで正直に病状を話すべきか、いつも迷います」と教えてくれた悦子さん(53歳)。お母さんには認知症のほか、心臓の持病があり、定期的に通院しながら経過観察しているそう。

「診察のときは母も一緒に説明を聞き、その場ではフンフンとうなずくんですが、帰宅するころには忘れてしまうようで……」

それで毎回、後から「どうだった?」と母親に質問されるという悦子さん。心配させまいと大丈夫だったと答えれば、「よかった。大丈夫なら、薬は飲まなくてもいいわね」と服薬をサボり、注意を促そうと「気を付けたほうがいいみたい」と伝えると、落ち込んでしまうのが悩みの種です。

認知症の親に対して、なにをどこまで伝えるのか。「どうせ忘れるから」と軽んじるのは論外だけれど、なにもかも赤裸々に伝えることが本人のストレスになり、認知症が悪化してしまったら……と、迷いは尽きません。

心配を掛けまいとする娘と、カンの鋭い母

うちも認知症介護が始まったばかりのころ、義母が突然、こんなことを言い出したことがあります。
「最近、娘(義姉のこと)の様子が変なの。家族が誰か、病気しているんじゃない?」

実は当時、義兄の持病が悪化し、手術が必要になるかもしれないという話が持ち上がっていました。義姉は心配をかけまいと黙っていたのですが、義母は母親のカンで察知し、気をもんでいました。

「以前はしょっちゅう電話してきたのに、最近はちっとも電話してこないの。しかも、たまにかかってきたと思ったら、そそくさと切るのよ。旦那さまの話をまったくしなくなったし。あなた、なにか聞いてない?」

義母の鋭い観察眼に、私も「仕事が忙しいんじゃないですかね?」などと取り繕うので精いっぱい。「でも、おかしいわ」となかなか納得してくれず、話題をそらすのに苦労しました。

義母のカンの鋭さは、認知症が少しずつ進み、要介護1から要介護3になってからも変わりませんでした。むしろ、感受性がより一層、研ぎ澄まされてきたように見える瞬間もあります。

症状の段階によっては、不安に思う正直な話は無用

夫のいとこが訪ねてきてくれたときのことです。義母が「そういえば、お母さまはお元気?」と質問したことで、その場に困惑した空気が流れました。というのも、いとこの母親(義母にとっては姉にあたる)は亡くなっていて数年経ちます。

いとことしても、正直にそう伝えていいものか迷ったのでしょう。一瞬ためらった後、「うん……。まあ、元気にやっていますよ」と答えたところ、義母の表情がとたんに曇りました。
そして、「長患いするのはさぞつらいことでしょう……」と涙をポロポロ流し始めたのです。

どうやら義母は、わたしたちが隠しきれなかった不穏な雰囲気を敏感に察知し、それが自分の姉(いとこの母親)の病気に由来するものだろうと推理し、悲しんでいたようでした。

後日、もの忘れ外来の往診の際、この話を医師にしたところ、「次からは『元気ですか?』と聞かれたら、間髪入れずに『元気です』と答えてください」とアドバイスされました。また、「現在のおかあさんは、つらいと感じたことも家族からのフォローもほどなくすれば忘れてしまう状態です。もう、ご本人が不安に思ったり、つらいと感じたりするような話はする必要はない段階でしょう」とも。

こちらの“予行練習”を軽々と超える人生の大先輩

これが会って日が浅い医師からのコメントだったら、違和感や抵抗感を覚えたかもしれません。でも、認知症が発覚してから2年半近く、伴走してくれているドクターの助言だったこともあり、素直に「そういうものか」と思えました。

夫や義姉、姪なども含め、家族でこのアドバイスを共有。つぎに義母に質問されたときは、ためらうことなく「元気です!」と即答しようと、声をかけあっていた矢先のことです。

家族での食事会があり、隣に座ったところ、義母に耳打ちされました。
「あのね、私の姉のことなんだけれど……亡くなったのは知っているんだけど、その経緯を忘れちゃったから教えて」
「えっ……」
予想外の質問にまごまごしながら、亡くなった経緯はわたしも知らないため、夫のいとこに確認しておくと伝えました。

すると義母はニコッと笑い、「悲しいことを考えながら食事をすると消化が悪くなるから、もうこの話は終わりにしましょう」というのです。そして、目の前のしゃぶしゃぶ鍋を猛然と食べ始めました(その日の会食のメニューはしゃぶしゃぶでした)。

義母のマイペースぶりがおかしいやら、頼もしいやら。「認知症の親にどこまで情報を伝えるべきか」という家族の悩みに正解はなく、簡単に結論もでませんが、相手はか弱いお年寄りではなく、人生の大先輩。こちらの“予行練習”を軽々と超えてくる力の持ち主だということは、頭の片隅に置く必要があると改めて感じたできごとでした。

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