介護で疲れたとき何が大切? 若年性アルツハイマーの母の18年間
上田恵子
若年性アルツハイマー病を患った母親の介護記録を、漫画エッセー『母が若年性アルツハイマーになりました。』にまとめた、イラストレーターのNiccoさん。症状が進む母の雅子さん、献身的に支える父の文雄さん…。18年間にわたる介護に対する思いを聞きました。
「私、ボケたよ」
2009年の夏、Niccoさんの実家の近くに、新しく小規模多機能型の介護施設ができました。自宅での生活をメインに、一か所でデイサービスとショートステイ両方が利用できるのが特徴です。
「この施設では緑が多い敷地内を散歩させてくれたり、白髪染めをしてくれたりと、いろいろと気を配っていただきました。母が若々しいブラウンの髪色になった時は、父の方が嬉しそうだったのが印象的でした。この時点で父は母を一生在宅で看ると決めていたので、将来はここで訪問介護も頼めることを喜んでいました」。Niccoさんは当時を振り返ります。
この頃からNiccoさんは「公益社団法人認知症の人と家族の会」千葉県支部の会報に、母親のことを記した漫画の連載をスタート。雅子さんに物忘れの症状が出はじめた頃のことをふり返り、時系列で家族の様子を描きはじめました。
「すでに会話らしい会話もできなくなっていた母でしたが、ある日、父に『私、ボケたよ』と言ったそうです。自分がボケたことを自覚していたんですね。よく、ボケたら何もわからなくなるといいますが、実際は違うんだなあと胸が痛くなりました」
献身的な父の介護
当時の文雄さんと雅子さんの生活リズムは、次のようなものでした。
8時起床。文雄さんが用意したトーストやサラダなどで朝食。アルツハイマー病の薬・アリセプトをバナナに差し込んで服用。
朝9時半、雅子さんはデイサービスへ。その間、文雄さんは洗濯、買い物、夕飯の支度などの家事をこなす。寝不足の時は昼寝も。
夕方5時半、雅子さん帰宅。便秘気味の雅子さんに、キウイに混ぜた緩下剤を服用させて、文雄さんがトイレへ誘導。
夜7時、夕食。メニューは文雄さんの手料理や市販の惣菜など。文雄さんがよく作っていたのは、雅子さんが得意だった大根と豆腐の炒め物でした。
夜9時に就寝しますが、トイレ介助は一晩に平均5~6回。多い時で1~2時間おきにありました。
「父は母が病気になってから、それは優しく、献身的に介護をしていました。母が元気だった頃は、仕事、仕事で家のことを顧みない自分勝手な父でしたが、ここまでできるならもっと早く母との時間をつくってあげたらよかったのに、と……。同時に、母が病気になったのはこのためだったのかなとも思いました」
2011年、とうとう要介護5になってしまった70歳の雅子さん。歩行が難しくなり、車椅子で移動することも多くなりました。
母と一緒に歌った童謡を
「ケアマネジャーさんの紹介で、自宅にも理学療法士(PT)さんに来てもらうことに。運動機能のリハビリをお願いして、脚力低下のスピードを緩やかにするストレッチや、体が固くなるのを防ぐマッサージなどをしていただきました。女性のPTさんと母は相性が良く、言葉での会話はできないものの、時には声を出して笑うことも。また音楽にも反応するので、実家を訪れた際は、子どもの頃に母と一緒に歌った童謡を歌っていました」
2013年、72歳になった雅子さんは、毎日小規模多機能施設のデイサービスに通い、月に6~8日はそのまま施設のショートステイを利用するようになりました。どちらも同じ建物の中にあるので、雅子さんも戸惑うことなく宿泊できたといいます。
その後、74歳になった雅子さんは誤嚥性肺炎で入院。徐々にものを飲みこむ力が弱くなっていきます。
「すっかり痩せてしまった母を前に『点滴も無理な延命になるのかな……』とつぶやいていた父の姿が印象的でした。かといって点滴をやめることはできません。家族にとって辛い時間でした」
母の長い闘いが終わった
2016年4月23日。雅子さんの長い長い闘いが終わりました。75歳でした。
「朝の5時に、父から『お母さん亡くなった。俺が4時過ぎに起きたら冷たくなってた……』と電話がありました。家族全員で実家に向かうと、すでに妹一家も到着。母はただ目を閉じて眠っているように見えました。母はよく生きたなと思います。よく生きて、よく死んだなと。本当に長い間頑張ってくれました」
雅子さんの通夜と告別式は家族葬。そして後日、ホテルの宴会場でお別れの会が開かれました。雅子さんを偲び、友人・知人・介護に関わった人・親類など、60名を超える人が集まりました。
「招待状に『おしゃれをして来てくださいね』と書いたとおり、皆さん華やかな服装で参加してくださって。スライドで母の生い立ちを流して、円卓で母の思い出話に花を咲かせて、まるで披露宴のようでした。会の最後には、漫画の連載をまとめた冊子『母が若年性アルツハイマーになって』を皆さんにお渡ししました」
大切なのは介護者の健康と笑顔
最後に、要介護5の雅子さんを最後まで自宅で介護した文雄さんに、介護をするうえで大切だと感じたことをうかがいました。
「僕が頼りにしていたのは“情報”です。『認知症の人と家族の会』は、年間5000円を払って会員になると、情報誌を毎月送ってきてくれるんですね。そこにはネットにも出ていない最新の情報が載っていて、これがものすごく役に立ちました。認知症を専門に扱っているスタッフのフィルターを通った情報ですから、信頼度も違います」。行政の情報も積極的に調べて利用してほしいといいます。
そして、何よりも大事と強調するのが「介護する人の健康」です。「上手に息抜きしながらやっていかないと、共倒れになってしまう。僕は妻がデイサービスやショートステイに入っている時間を利用して、ジムに通ったり、行きつけの銀座のカウンターバーで友人とお酒を飲んだりして、気分転換をしていました。ストレスを溜めないことが大切です」
最後に文雄さんが付け加えたのが「笑顔」。「一番辛いのは病気になってしまった本人です。本人の前では笑顔でいること。そうしないと相手も不安になりますから。もしも疲れて笑えない時は、口をニーッと横に開いて歯を見せるだけでもいい。そうすると笑顔に見えます(笑)」
母の雅子さんが75歳で亡くなるまでの18年間を描いたNiccoさん。「母がアルツハイマー病を発症した時はまだ、今ほど情報がなく、患者の家族の気持ちを表した読み物などはなかったように思います。私の描いた漫画が、少しでもご家族の皆さんの参考になれば幸いです」と語ってくれました。
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- Niccoさん
- イラストレーター、造形作家。多摩美術大学卒業後、企業の宣伝企画課、デザイン事務所勤務を経て、出産を機にフリーランスに。現在は「子どもアトリエ」講師としても活動中。夫、娘、息子の4人家族。千葉県在住。