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若年性アルツハイマーの母と2人 思い出の韓国旅行に行ってきました

岩佐さん1_サイト

フリーアナウンサーの岩佐まりです。日常会話にボケとツッコミが欠かせない大阪で生まれ育った私は、介護生活でも毎日がボケとツッコミ。そんな日々を綴ったブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」は多くの読者様に支えられております。さてこの度、アルツハイマー型認知症の母と韓国へ行ってきました。大変なこともあったけれど、とてもいい思い出になりました。3回にわたって、レポートします。

歩行困難で車椅子生活だけど、母と韓国へ再び!

会員になっている「認知症の人と家族の会(本部・京都市)」から毎月送られてくる会報「ぽれぽーれ」の中で“日韓交流・研修ツアー 参加者募集”という文字が目に留まったのは今年5月のことです。

10年前、母がアルツハイマーを発症して家族も大混乱をしている時、母との思い出を作ろうと二人で韓国へ行ったことをふと思い出しました。世界遺産を巡り、焼き肉を食べ、満面の笑みを浮かべている私と母のツーショット写真が残っています。

「もう無理だと思っていたけれど、また母と韓国へ行きたい」

現在は重度のアルツハイマーとなり、要介護5、歩行困難で車椅子生活の母だというのに、後先を考えずに私は日韓交流・研修ツアーの参加希望メールを出しました。

後日、「家族の会」から「ぜひお母様も一緒に」と快諾をいただき、手荷物や母の病状のことも考えて、「家族の会」理事で新潟県立看護大学の准教授・原等子(はら・なおこ)先生が羽田空港から付き添ってくれることが決まりました。さらに空港までは、「家族の会」神奈川県支部の仲間が車を出してくれることに。私一人の奮闘では難しいと思われた母との韓国旅行が、皆さんの手を借りることで少しずつ、実現に近づいていきました。

母の体調管理も、重要な事前準備の一つ

「そうだ、パスポートを作らなければ!でも……」

証明写真が問題でした。よく街角で見かける無人の証明写真機は、車椅子で入ることはできないのです。また、認知症の人があの閉鎖的な空間でじっとしていられるとも限りません。少々割高にはなるけれど、パスポートセンターに行けば車椅子のまま撮影ができるとのことで、母が眠らずに意識をたもってくれることを願いながら、一か八か撮影に臨みました。母は、一緒に韓国へ行きたいと願う娘からの期待に応えるように、顔を正面に向け、視線は少し外れたものの、一発OKで写真が撮れました。

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航空会社には車椅子使用の連絡を入れておく必要がありました。手動か、電動か?サイズはどのくらいか?などのやり取りをしました。さらに事前準備は、母の体調管理にまで及びました。旅行中は、普段のようにお昼寝をする時間がつくれないことが予測されるので体力をつけておきたいと思いました。また、少しでも歩行状態を良くするために、担当の理学療法士さんにお願いして歩行訓練も強化してもらいました。

三泊四日分の荷造りも大変でした。常備薬に大量のおむつやパッド。排泄ケア用品だけでボストンバッグがいっぱいになったときは「本当に行けるのか?」と不安になりましたが、自分の持ち物は最低限の着替えだけにして荷物を減らし、ようやく韓国出発の日を迎えることができたのです。

いざ、出発。飛行機までは予想外に……?

事前準備は大変でしたが、当日は意外にもスムーズに飛行機に乗ることができました。羽田空港のバリアフリーは完璧でしたし、通路が狭い飛行機内も、タイヤが取り外せる専用の車椅子に乗り移ることで、座席まで問題なく進むことができました。係の方の対応も親切で、チェックイン時に前方の空きのある座席を紹介してくれたり、機内まで車椅子をおしてくれたりと、素晴らしい配慮がなされていることを知りました。

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気圧の変化や機内の揺れなど2時間ほどのフライトを認知症の母が耐えられるのかも心配でしたが、大きな問題もなく、機内食を完食し、無事に韓国・金浦空港へ到着できました。

入国審査には少し時間がかかってしまいました。というのも、指紋採取や顔写真の撮影に母がうまく対応できないのです。じっとしていられない手や顔を押さえつけて、何度か失敗しましたが、なんとか入国審査を突破しました。

到着ロビーでは、韓国痴呆協会からユンさんがボードを持って私たちを待ち構えていてくれました。「アンニョンハセヨ。チョウンベッケスムニダ(こんにちは、はじめまして)」と、私は片言の韓国語で挨拶をしました。

車椅子のため、私たちは団体用のバスに乗れないので、このユンさんが、これからの三泊四日間を個別に車で案内してくれるのです。

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お花のプレゼントとともに歓迎していただき、原先生とともに私たち母娘の日韓交流・研修ツアー、いよいよスタートです。

宿泊先のホテルには続々と日本から参加するメンバーが到着しました。認知症の当事者やそのご家族が、全国から集まってきているので、ほとんどがお互いに初対面です。早速これからの行程について、みんなで打ち合わせが始まりました。

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この研修の目的は、急激に高齢化が進む日本と韓国の間において、互いに認知症について学び合い、両国の関係をより一層深めようというものです。国は違えど、同じ病気と向き合う人々からどんな交流が生まれ、どんなことを学びあうのか、私たちは期待に胸を膨らませ、入念な打ち合わせを行いました。

この後さらに、翌日の日韓共同学術大会で発表を控えているメンバー(私も)で打ち合わせをしたり、全員で夕食を食べる歓迎レセプションが用意されていたりしたのですが、私たちは参加が叶いませんでした。実はその頃、母が病院へ救急搬送されるというアクシデントに見舞われてしまったのです。

衝撃の救急搬送からの学び

ホテルに到着後、休憩のため部屋のベッドに座っていた母がバランスを崩し、サイドテーブルに頭をぶつけてしまいました。駆け寄った私の手に母の血がべっとりと付着したときは慌てふためきましたが、幸いにも付き添ってくれていた原先生は看護師で、通訳の方も看護師というありがたい顔ぶれ。迅速な応急処置と救急要請によってすぐに病院に運ばれ、頭を2針縫う怪我ですみました。みなさんに感謝するとともに、日常生活と環境が違う中での介護は、一段と気を配る必要があることを学ばせていただきました。

というわけで、私たち親子が病院からホテルへ戻ってきたときには、その日のプログラムは全て終了。どんな歓迎レセプションが行われ、どんな交流があったのかは想像でしかないのですが、韓国痴呆協会のみなさんが盛大に、日本からの訪問客たちを迎え入れてくれたことと思います。

この日、「母に急変があったら救急搬送の要請を」と言われていた私は、一睡もできずに夜を明かしました。無事に日本に帰れますように…そう願いながら。

岩佐さんの親子旅の続きはこちら

【岩佐まりさんの記事はこちらにも】

「認知症は嫌」、それって知ったかぶり? ~認知症フレンドリーを目指して1

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