「生きてるのが嫌」から、自分取り戻した ~認知症当事者のしゃべり場1
構成/岡見理沙
認知症になっても誰もが安心して暮らせる社会を目指し、「認知症フレンドリーイベント」が9月22日、東京コンベンションセンター(東京都中央区)で開かれました。
「認知症当事者のしゃべり場~認知症のひとにやさしい街」と題したトークセッションでは、当事者3人がこれまでの体験や日々の暮らしについて、1時間じっくり語り合いました。コーディネーターは認知症介護研究・研修東京センター研究部部長の永田久美子さんが務めました。詳細を、3回に分けてお伝えします。
永田久美子さん(以下、永):認知症の当事者の方たちが、本当に思いっきり、のびのびしゃべろうという時間になります。3人の当事者の方から、これまでの体験、暮らしの中での工夫されてきたこと、これからどんなことがあったらいいと願っているのか。当事者の声に耳を澄ませて、一緒に考えていきたいと思います。それでは早速3人の方から、まずは自己紹介をしていただきたいと思います。
福田人志さん(以下、福):長崎県佐世保市からまいりました認知症当事者の福田人志です。僕の場合は、こうやってお話をできるまでにはいろんなことがあって、なかなかこういう場に出ることが本当はすごく難しかった人間です。4年前、仕事に対して影響が出始めていたんですね。ものをしまえない、自分の家から職場行くはずなのに、道に迷うことがある。
認知症と診断されて、ちょっとホッとした
仕事も忙しかったので、うつになって、それから認知症の診断を受けるんですけども、とうとう病院に行かなきゃいけなくなって、いろんな検査をされて、やっと診断名がついたときに、ちょっとホッとしたんですね。ああ、原因があったんだと。調理の仕事をしていたのに味が分からなくなってしまって、料理に自信を持てない。認知症のせいだったということになった。ですけど、それからがやっぱり大変でした。
認知症が、治らない、先はどうなる、というのを学んでしまって、半年以上落ち込みました。その間に仕事もなくして、信用もなくして、やっぱり生きてるのが嫌だというくらいまでなった人間ですけど、いろいろ支えていただいて立ち直って、いい方向には変わっていきました。本当に周りの方の力、信じて僕のことを見てくださった方々がおられたからです。一番大事なのは家族を信じる、支援者を信じる。信じてくださる方を自分なりに信じてやればできるかなと思います。
永:少しずつ自分で語る力を取り戻して、また、みなさんに堂々と話せる日がきていると、福田さんが身をもって見せてくださってると思うけれども、辻井さんも実は初期の頃、ドーンと落ち込んだことがおありでしたよね?
辻井博さん(以下、辻):辻井と申します。4年前にこの状態になりました。1月下旬くらいに脳梗塞(のうこうそく)になりまして、ある病院にいたときに、これはもしかしてそうなのかなということで、2週間入院して、いろいろ検査しました。家に帰ったんですけど、帰ってるときになんかおかしいなという気がしていました。3月の頭に栃木県の病院で、偶然倒れちゃったんですね。体も動かないし、頭もはっきりしないという状態が続いたんですけど、その後、仙台市に引っ越して、そこでなんとか病院に入ったんですけど、その記憶が全くないんですね。また脳梗塞になりまして、もう一回病院に入院しました。実はこの4月に東京に来たんですけど、半年間で少しずつよくなってきているんだなというふうに感じてます。
永:同じ認知症といわれていても、もともとの病気とかその後の経過が、一人ひとり違っておられる。そして見えないいろんな苦しい段階を越えながらも、また自分の内側からの力で、こうやって落ち着いて、こういう日が来て、ここからまた、いろんな展開がきっとある。
これから、どれだけみなさんと話せるかが大事
辻:まさにここから、僕がどれだけみなさんとお話しできるのか、ということが、これから僕にとって大きいなと思ってます。
永:お待たせしました。長野県から出てきてくださった春原治子さん、よろしくお願いします。
春原治子さん(以下、春):長野県上田市から参加させていただきました春原治子と申します。今、私は一人暮らしをしています。主人は特別養護老人ホームにいます。一人暮らしですが、敷地内のすぐ隣に、息子夫婦と孫2人がおります。主人のところに2日に1度は必ず会いに行って、色々お話したりしてくるのが楽しみにしています。先日、近くの診療所の先生に、ちょっと物忘れが出てきてるということで、MRI(磁気共鳴画像)を撮っていただいたら、認知症の初期ですということで、それ以上進まないように、お薬を服用しているところです。
うちに一人でいることは、ほとんどございません
今の生活を充実させて、自分なりに楽しんでいこうと思っておりますので、うちに一人でいることはほとんどございません。自分の地区では、7、8年前から、「エプロンの会」をつくって立ち上げました。毎月1回、75歳以上の高齢者をお呼びしまして、介護予防体操やお手玉、折り紙などをしています。
日常では大きなカレンダーに、何を午前中にして、午後はどこ行くとか、必ず書いて、それを見ながら確認して行動しております。さらに自分のメモ帳に一日の予定を書いて、午前午後は何をするか書いておきます。うっかりカレンダーを見ないと忘れてしまうことがありますので、同じ仲間の人たちに「私が忘れていたら電話をしてね」と、電話を掛けてもらうこともあって、「ああ、いけなかったわ」と慌てて行くこともございます。
永:治子さん自身が、自分よりももっと年長の地域の人たち、75歳以上の人たちが日々楽しく暮らせる場をつくってるわけですよね。自分が認知症になったことも、周りの人たちにお伝えして、「忘れてたら電話して」と周りの人にも知ってもらっています。そうやって、仲間の人と一緒に地域で活動されているんですね。