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コマタエの 仕事も介護もなんとかならないかな?

マドンナぶりに仰天!同窓会に親子で参加し知った、母の爆モテ青春時代

駒村多恵さん
駒村多恵さん

タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。参加するたびに楽しそうに帰ってきていた母親が、同窓会への参加に躊躇し始めたころのお話です。

同窓会のお知らせ

先日、母の母校の大学から、薬学部設立70周年祝賀会の案内が届きました。元気だったら間違いなく参加していただろうと思いながら、返信用のはがきの不参加にレ点を打ちました。今では1万人を超える卒業生を有する薬学部同窓会組織ですが、母は4期の卒業生で、組織設立当初から何十年も組織の役員を務めていました。私とともに上京してからも続けていましたが、病が少しずつ悪化し、大阪へ頻繁に出向くことも出来ないので、辞任を申し出るお葉書を出しました。出来なくなったことを改めて認識する瞬間は寂しいものです。

定年前後から、中学と大学時代のクラスの同窓会も開催が増え、参加するたび「楽しかったんだな」と、よくわかる顔をして帰宅していました。ところが、それも、出席を躊躇するようになっていきました。一人で出かけることが億劫になり、遠出することへの不安も出てきたのでしょう。不安さえなければ本当は行きたいんじゃないかなと感じていた私は、親子で参加してみないかと提案しました。幸い同級生の皆さんからOKのお返事をいただき、母に付き添って私も母の同窓会に参加してみました。

同窓会、getty images
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いざ、参加してみると、皆さん娘の私を大歓迎。懐かしい話を沢山教えてくださいました。中でも、同級生同士で結婚したご夫婦の夫が教えてくれた話は衝撃でした。「みんなで山登りに行った時、男子生徒がお母さんの荷物をこぞって交代で持ってな。お母さんは楽ちんや。うちの嫁なんて、そんなんしてもらってないでー」とニヤリ。何ですか!? その漫画みたいなエピソード。しかし、そういえば…母が会場に入って来たとき、「こっちこっち!」といち早く母を手招きした男性がいました。その方は妻同伴だったのですが、あまりに弾んだ声だったので、私はつい、隣に座る妻の顔色をみてしまったのです。あの人、もしや荷物を持ってた一人では?と心の中で妄想します。

山登り、getty images
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他にも、学校近くのお好み焼き屋さんがたまり場だったとか、国家試験に向けて猛勉強して終電ギリギリまで実験していたから、いつも駅まで走って帰っていたとか。「警備員の方も遅くまで残ってくれて、悪いなと思ってたんよね~」。尽きない青春時代の思い出に、母の知らない一面を見ることが出来て、娘時代にタイムスリップしたような母とその仲間たちがワイワイしている空間がとっても素敵で、一緒に来て良かったと心から思いました。

中学の同窓会にも親子参加しました。こちらは担任の先生もいらっしゃったのですが、当時90歳。背が高く、背筋も伸びていて、スーツを着こなし、一人で電車を乗り継ぎ、スタスタ歩いての参加。しかも、デジタルに強く、会の模様をまとめた写真を先生自ら編集し、後日、人数分DVDに焼いて郵送して下さるという手厚さ。尊敬しかありません。

食卓、getty images
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そこでは、
牛乳屋のKくん「よく家にみんなで遊びに行かせてもらったな。お母さんにたくさんごちそうになったもんや」
母「そうそう、私がおらんでもみんなご飯食べに来てたなぁ」
と、母の実家での思い出に花が咲いていました。そんな話を叔母に報告すると、写真を見ながら、「それな、この男の子らは、姉ちゃん目当てで来てたんや。姉ちゃんはホンマにモテたんやで」と。後日Kさんに聞くと、「そうや、抜け駆け禁止、言うて協定結んでな」と笑っていました。

他にも、学生時代に通学の電車の中でいつも母を見ていたけど、高嶺の花で話しかけられなかった人がいたとか、旅行に行った先で出会った男性から、よく手紙が来ていたとか、母のモテエピソードが出るわ出るわ!そんな爆モテ人生を歩んでいたとは同窓会に参加するまで露知らず。すごいな、私の母。羨ましすぎる!

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