認知症や障害のある人、そうでない人も、誰でも泊まれる福祉旅館 愛知県南知多町
2040年には認知症の人が約584万人になると予想されています。認知症と診断されたら旅行は止めた方がいいでしょうか? 私は大の旅行好きで、旅先でおいしい店を訪ね歩くのが楽しみです。私はもし認知症になっても、国内外を問わず旅行は続けたいと思っています。愛知県の知多半島の先端に近い南知多町に、認知症の人や障害のある人、また難病の人も受け入れてくれる「福祉旅館」と銘打った宿泊施設があります。一般の旅館と何が違い、どんなおもてなしを提供しているのでしょうか。訪ねてみました。
JR名古屋駅からレンタカーに乗り高速道路を使って1時間半。東海地区最大級の海水浴場、内海(うつみ)海水浴場のすぐ近くに「サポートイン南知多」(愛知県南知多町)があります。旅館といっても外観は2階建ての小さな建物です。マネジャーの大杉和洋さん(48)が出迎えてくれ、朝食の提供が終わったばかりの広間でお話をうかがいました。
サポートインを運営しているのは名古屋市を拠点に、グループホームや住宅型有料老人ホーム、就労継続支援事業所などを運営している株式会社マザーズグループです。もともと名古屋でも有名な商店街のひとつ、円頓寺(えんどうじ)商店街で蜂蜜販売をしていましたが、高齢化による商店街の衰退にともない、野口恵介社長の母の昌子さんが、年をとっても障害になっても認知症になっても、地元でずっと暮らし続けられるようにという思いで認知症対応型グループホームを同市西区新道1丁目に開設しました。その後あんしん賃貸住宅(現在は有料老人ホーム)や訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所などを次々にオープンさせ、従業員の保養所でもあり、施設の利用者がレクリエーションを楽しめる場所として、南知多町の廃業した旅館を購入。全面的にリノベーションして2018年4月にオープンしたのがサポートイン南知多です。
全館バリアフリーの2階建ての館内には洋室が2部屋(いずれも8畳)、和室が6部屋(8~10畳)あって、電動リクライニングベッドが置かれた部屋もあります。部屋の内装は和モダンで統一されていて、福祉旅館という言葉からは想像できないスタイリッシュな空間が広がっています。
旅館での楽しみの一つでもあるお風呂は、体の不自由な人が電動リフトを使ってジェットバスに入浴できる「虹の湯」と、洗い場に畳仕様のマットが敷かれ手すり付き階段で湯船につかれる「風の湯」「波の湯」の3つがあります。どの風呂も家族などで貸し切りが可能ですし、スタッフによる入浴介助を受けることもできます。
食事は伊勢湾や三河湾で採れた魚介類を使った懐石料理です。すべての料理は希望すれば、普段、自宅や施設で食べている「刻み食」「とろみ食」「ミキサー食」に合わせて作ることも可能です。
大杉さんによるとサポートインの提供するサービスで重要なのは、①ハード面の整備 ②実際のサービス、介護スキル ③チェックイン前までのアセスメントとチェックイン後のスタッフの繊細な視線や声かけだそうです。
料金は1泊2日夕朝食付きで1万7千円(平日1人/2人1室利用)、同1万8千円(土日祝日前1人/同)。介助サービスは宿泊客限定のオプションで、スタッフ1人につき30分2750円から、です。
宿泊客との事前連絡は、宿泊時の満足度を高めるために重要です。予約が入れば必ず電話やメールで連絡を取り、食事の形態やアレルギー、風呂、部屋の要望や、体に不自由なところがあれば、どんな状態なのかなどを尋ね、宿泊客の希望や不安な点を聞きながら、1日をトータルで見て対応できるアセスメントシートを作成します。多い時には、宿泊前のやり取りが4、5回になることもあります。「実際に来ていただく前に、すでにお客さんとスタッフが仲良くなっていて、チェックインの時は『やっと会えましたね!』みたいな感じになることがあります」と大杉さんは笑います。
女将(おかみ)代理で介護福祉士の資格を持つ佐々木江里さん(37)は「お客様のご状態、例えば右まひか左まひかによってお勧めする部屋を考えます。もし右まひならトイレは左側に手すりがついた部屋を案内させていただき、ベッドも乗降が左側からできるように配置します。事前にお客様から宿泊者の状態を聞いて、お客様に合わせた部屋選びや備品の設営を行います」と話します。
では実際に利用しているのはどのような人たちなのでしょうか。取材に訪れた日、チェックアウトを終えた愛知県瀬戸市から来た4人連れの家族に話を聞くことができました。
長江真澄さん(88)と久美子さん(85)夫婦は、娘の江藤かおりさん(60)夫婦と一緒にやって来ました。真澄さんの米寿のお祝いとがん治療が終わった快気祝いを兼ねての宿泊とのことでした。真澄さんにサポートインの感想を聞くと「料理が最高やったな!」。認知症のある久美子さんは「お風呂が一番良かった。半身浴が楽しかった」と話してくれました。かおりさんは「こぢんまりした施設なので良かったです。スタッフの方も介護のことがよくわかっていて、食べこぼしのエプロンやスプーンも準備していただいて助かりました」と話しました。
後日、かおりさんからいただいたメールには「母は短期記憶が低下していますが、旅行がとても楽しく印象に残ったようで、『一緒に海、行ったよね?』『おなかいっぱい、料理が出たよね?』と、今でも突然思い出しては、旅行のことを話します」とありました。
他にも名古屋市内の有料老人ホームで暮らす96歳の女性は、娘さんと一緒に防振装置付きの寝台が備わった介護タクシーで、看護師同行で来ていました。
新型コロナ禍後は名古屋市のNPO法人で命にかかわる病気や障害のある子どもやその兄弟、姉妹、家族のための施設として子どもホスピス設立を目指して活動している団体が、入院中の子どもを外出させて、海や自然に触れさせてあげる目的で利用してくれることがあるそうです。呼吸器を装着して看護師同行でやって来た親子連れは、「入院中は楽しみがないのでここへ連れてきました」と母親が話していたそうです。
最近は愛知、岐阜、三重の特別支援学校が貸し切りで利用することも増えているそうです。
8室ある部屋は満室にしてフル稼働することは滅多にあまりありません。スタッフの人数は正職員が5人、パートスタッフが4人で、シーツ交換や給仕、料理の盛り付けなどは、就労継続支援施設(障害や病気のために一般企業などで働くことが困難な人々を対象に就労の場を提供する福祉サービス)の利用者8人が担当していますが、この人数で行き届いたサービスを維持するには1日3、4組を受け入れるぐらいがちょうどいいそうです。料理が自慢の旅館ですから一般の宿泊客も受け入れていますが、実際には宿泊客の9割は認知症や障害などがある人を含む4、5人の家族連れです。たまにおじいちゃん、おばあちゃんから子ども夫婦、孫まで3世代の家族が貸しきりで利用することがあるそうです。
「あえて福祉旅館と銘打っているのは、どんな人でも宿泊することができる施設なんですよ、というメッセージです。ひょっとしたらある宿泊客にとって何かが原因で他の宿泊客のことが気になってしまうことがあるかもしれません。そんな時に会話が生まれたり、会釈し合えたりできるような、みんなお互い様で助けあえるような気持ちが生まれる宿でありたいという、私たちの思いが詰まっています。スタッフはもちろん、宿泊客も同時に寛容になれる旅館でありたいと思っています」という大杉さんの話に、共生社会の一つの姿がおぼろげに浮かんできました。