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脳の中に広がる光景を写真で再現 「心の糸」が世界的なコンテストで入賞

印刷工場跡で開催されている世界報道写真展=京都新聞提供
印刷工場跡で開催されている世界報道写真展=京都新聞提供

2040年には認知症の人が約584万人になると予想されています。そうした中、世界で最も権威のある写真コンテストの一つ、世界報道写真コンテスト(World Press Photo Contest)で、京都新聞写真部記者の松村和彦さん(44)による、認知症の本人の心情と症状を写真と文章で表現したシリーズ「心の糸」が、革新的な表現を求めるオープンフォーマット部門のアジア地域の優勝作品として選ばれました。同コンテストの入賞作品展は、11月30日から京都市中京区の京都新聞ビル地下1階印刷工場跡で開催されています(12月29日まで、入場無料)。認知症の人が見る世界を映像表現する試みや、発端となった新聞の長期連載について担当した2人の記者と、取材を受けた若年性認知症の下坂厚さん(51)に話をうかがいました。

「心の糸」の写真は、もともと京都新聞で2020年3月から2023年2月の間にわたって長期連載された「700万人時代 認知症とともに生きる」で掲載された写真をまとめたものです。新聞1面の記事に合わせて中側の面に1、2ページを使った写真グラフを連動させるという、大胆な手法をとった企画です。3年にわたる連載は4部構成で、記事は文化部記者(当時、報道部次長)の鈴木雅人さん(50)が担当しました。2人で合わせて4部の連載で約60本の記事・写真グラフをはじめ、認知症700万人時代のタイトルを付けて随時掲載した関連記事と合わせると約110本の記事を掲載したことにもなります。連載は2022年3月に、関西を拠点にした優れた報道活動に贈られる「第29回坂田記念ジャーナリズム賞」も受賞しました。連載終了後には「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」で、超高齢社会の日本のあるべき社会像を伝えようと「心の糸」シリーズとして展示されました。

連載を始めるきっかけについて写真部記者の松村さんは、京都・西陣で住民が出資した診療所を開設して「わらじ医者」として親しまれた早川一光さんの言葉が心に残っていたと言います。早川さんは多発性骨髄腫を発症して2018年に亡くなりましたが、松村さんは早川さんの晩年を取材するなかで、「見えないものを撮ってほしい」と言われたそうです。老いや医療、福祉課題など、容易には見えてこないものを取材してほしいという意味だったのではと回想します。そうした時、2017年に京都でADI(国際アルツハイマー病協会)の国際会議が開かれ、認知症をテーマに何か写真企画ができないか考え始めたそうです。

鈴木さんは当時、記者として医療、福祉関係を担当していました。なかでも訪問診療に興味があって、同行取材を続けるなかで認知症の人と出会い、認知症をテーマにした記事を書いてみたいという思いが強まっていました。当初は、高齢化が進んでいるニュータウンで、エレベーターの無い5階に孤立して暮らす認知症の高齢姉妹の様子や、行方不明になって亡くなった男性のことを調べ、そこから認知症の厳しさや辛さを取り上げようかと考えていました。しかし、連載がスタートする半年前から事前取材を重ねていくうちに違和感を覚え始め、最終的には、認知症の人の前向きな姿を取り上げながら、いろいろな社会課題を考えていく形式にしてはどうだろうかと思い直したそうです。

写真記者の松村和彦さん(左)と記者の鈴木正人さん=京都新聞社
写真記者の松村和彦さん(左)と記者の鈴木正人さん=京都新聞社

連載第1部のテーマは「病ではない」でした。連載を担当したデスクがこのとき、「私たちは認知症をこういうふうに思っている」というメッセージを最初に出そうと提案して決まったそうです。新聞社では一般的に記者が書いた記事をデスクは過不足が無いか点検します。連載では方向性やテーマ設定などの助言をすることもあります。

世界保健機関(WHO)などの定義では、認知症とは、様々な脳の病気により、認知機能(記憶、判断力など)が低下して、社会生活に支障をきたした「状態」とされています。このように、認知症とは、人の状態を表す言葉で、アルツハイマー型や前頭側頭型といった原因となる病気はありますが、認知症という病気はないのです。まだまだはびこる認知症に対しての偏見や差別には、認知症に対する知識不足が大きく影響していると私自身、思っています。病ではない、というタイトルに込められた連載のメッセージを強く感じとりました。

私が特に興味を持ったのは、松村さんが認知症の人が見る世界を写真で表現していたことです。もし写真記者が認知症の人の取材をするとなると、彼らと時間を共にして日常の風景を切り取る、いわゆるドキュメンタリー的な手法を選ぶのが大半ではないでしょうか。一方で松村さんは認知症の人との対話から、その人が見たり感じたりした、いわば脳のなかに広がる光景を果敢に再現しています。

2021年9月20日付の京都新聞に掲載された写真。下坂さんの体を真っ白に飛ばしたポートレート=松村さん撮影、京都新聞提供
2021年9月20日付の京都新聞に掲載された写真。下坂さんの体を真っ白に飛ばしたポートレート=松村さん撮影、京都新聞提供

若年性認知症で写真家でもある京都市の下坂厚さんを取り上げた、2021年9月20日付京都新聞の1面や見開き14、15ページに掲載された写真は、連載のなかで転機となったものです。それまでカラーで表現していたドキュメンタリー的な手法から一転して、モノクロの「ステージド写真(Staged Photography)」といわれる技法を採り入れました。

写真家が映画監督のように演出して視覚化する手法で、1980年代以降は独立した写真表現のジャンルとして確立されています。松村さんは、下坂さんから、見当識障害で道に迷って自分がどこにいるのかわからない状況を「不安が連鎖して、ドラマのように周囲の喧騒(けんそう)が頭の中で大きくなる。頭が真っ白になる」と説明されました。そこで松村さんは、この不安感を表現するため、正面から強いストロボを被写体の下坂さんに当て、写真用語で言う顔が白く「飛んだ」仕上がりにすることで、場所の感覚や行き先の記憶がなくなり、道に迷った感覚を再現しました。「認知症の人が見る世界は様々ですが、この写真はあくまで下坂さんが見ている世界を下坂さんと一緒に再現したものです」と松村さん。下坂さんにもこの写真の話を聞きましたが、「普段から症状のことは周りの人に言葉では伝えていますが、本当に伝わっているのかという思いがありました。松村さんと撮影の話をしていくうちに、写真で表現できたらいいと思い協力しました。その後送られてきた写真を見て私の印象を伝え、さらに修正を加えて最終的にあの写真になりました」と話していました。

下坂さんのインスタグラムの投稿
下坂さんのインスタグラムの投稿

新聞に掲載された別の写真には、下坂さんがインスタグラムに投稿した時に書いた「夕焼けの空に 一日の終わりではなく 明日へのつながりをおもう 記憶が曖昧で 一日を振り返ることは難しいけど 明日を想い描くことはできるから 楽しい明日を想像する」の文章が添えられています。

当時デイサービスで働いていた下坂さんが、仕事帰りにバス停まで歩く道すがら見た夕焼けを撮影した時の気持ちです。「認知症の診断を受けて間もない頃は、忘れたり失敗したり、そんなことが続くと、なんでできないんだとか、なんですぐに忘れしまうんだろうとか、そんなことばっかり思って自分でも悩んでいました。でもちょっとずつ受け入れられるようになって…。今日のことはあまり覚えてないかもしれないけど、明日のことを想い描くことができるって、前向きな気持ちになったんですね」とその時の心境を語ってくれました。こうした下坂さんの前向きな心境はデイサービスでの姿など温かみのあるカラー写真で表現されています。このときの心情について、下坂さんは「会話が難しい認知症の人に手を重ねると優しく握り返してくれた。社会では考えることが大切にされます。でも、感じることが一番大事だと教えられているような気がしました。みんなの価値観が変われば、認知症になっても生き生きと暮らせる社会になると思います」と話してくれました。

デイサービスで下坂さんが利用者の背中に手を添えて階段を上がる姿=松村さん撮影、京都新聞提供
デイサービスで下坂さんが利用者の背中に手を添えて階段を上がる姿=松村さん撮影、京都新聞提供

受賞作品30点のなかには、認知症の妻を介護する男性が語った「鯛の刺身が冷蔵庫だけではなく押し入れにも入っていました。買ったことを忘れて何回も買いに出かけたのでしょう。晩酌する私のためです。妻の心遣いですので、怒りようがありませんでした」というエピソードを題材にした写真もあります。

夫のために買ってきた鯛を押し入れに置いた様子。実際に刺し身が残されていた夫婦の家の押し入れで状況を再現した=松村さん撮影、京都新聞提供
夫のために買ってきた鯛を押し入れに置いた様子。実際に刺し身が残されていた夫婦の家の押し入れで状況を再現した=松村さん撮影、京都新聞提供

写真展のタイトルにもなった「心の糸」を表現した写真は、松村さんが「最も視覚化が難しかった」というものです。ご夫婦が若かった頃の記念写真を糸で結んで絆を表現しています。家族アルバムから2枚の写真をスキャンし、レプリカを作り糸でつないでスキャンし、さらに編集ソフトでスキャンした画像の背景色を変更し影も足すなどして制作しました。認知症の進行によって夫婦としての絆が一度は切れてしまったが、夫と認識できなくなって「お父さん」と呼ばれるようになった男性は、父親を演じることを決めたという体験を表現しています。心の糸を結び直したことを表現しています。

「心の糸」のタイトルのもととなった写真=松村さん撮影、京都新聞提供
「心の糸」のタイトルのもととなった写真=松村さん撮影、京都新聞提供

このエピソードを聞いて、私は6年前に91歳で亡くなった母のことを思い出しました。母は70代後半、私が40代後半のころに認知症を発症しました。たまに様子をうかがいに父と暮らすマンションを訪れると、「ヘルパーがミシン糸を盗んだ」「(住民の)○○さんが夜中にチャイムを鳴らして逃げる」といつも話していました。当時の私は認知症を全く理解しておらず、「そんなわけないやろ!」と母をなじりました。あのとき認知症のことをきちんと理解できていれば、母と心の糸を結べたのかもしれません。

会場の京都新聞印刷工場跡はギャラリーではないため、入場料を設けることができません。世界報道写真展の開催資金を確保するため、クラウドファンディングを実施しています。

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