偏見に満ちた苦い記憶 それから20年 異を唱え続けた先にある希望
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
![テープを巻く女性を見守るスタッフ](http://p.potaufeu.asahi.com/bcf0-p/picture/28538798/d29959dfb2b31e43286c9d11de9a99db.jpg)
2000年代に入ってすぐの頃のこと。
ある医療機関では、
認知症がある人たちに数時間、同じ作業をするように課していた。
「落ち着いてもらうために、同じことを繰り返してもらうんです」と、
そう話すスタッフの声には、どこか後ろめたさがあった。
![うつろな目でテープを巻き続けるひと](http://p.potaufeu.asahi.com/24fe-p/picture/28538794/e395ebaac1f53ed7a7fa01c50297d6f2.jpg)
ぐるぐるぐる、
認知症がある人たちは、紙テープを筒状に無言で巻き続ける。
スタッフは巻き終わった紙テープを、
できたそばから、ほどく。
そして、また患者さんたちにそのテープを巻いてもらう。
——その繰り返し。
患者さんの目は誰もが、うつろだった。
![笑顔のひと、涙をこぼすひと](http://p.potaufeu.asahi.com/90f3-p/picture/28538796/a4336a3936ba3bb2471a48041322b3db.jpg)
「痴呆(ちほう)症がある人が、騒がないようにしてるんです」と、
スタッフの目にも光はなかった。
あれから20年以上。
現場は変わった。
誰かの深い後悔と、
希望を捨てなかった本人たちの歩みがつくった、今。
今回は、私の脳裏から離れない、苦い記憶を取り上げました。
20年ほど前、私がまだ介護福祉士として働く前に、ある医療機関を見学にたずねました。
当時は、まだ認知症という呼び方ではなく「痴呆症」とか「呆(ぼ)け」と呼ばれていました。
その院内では「痴呆症になったら、本人はなにもわからなくなる」という見解が当たり前にありました。
今となってはひどい偏見に思えますが、当時においてはそれも、
世間一般と差異がなかったように思います。
言うまでもなく、認知症がある人を「なにもわからない、できない人」にしてしまったのは、
周りにいる私たちの無知にありました。
それから約20年間。
心ある医療・介護従事者の方々や、
そしてなによりも、認知症があるご本人・ご家族が、
その誤解をとくために必死に尽力されてきました。
そのおかげで現場は少しずつ、けれど私の足元でも実感できるほどに、明らかに変わりました。
「認知症になっても、本人そのものは変わらず、個々にあった人生を選んでいける」という事実が、広まっています。
ならば、これから次の20年は、
誰もが自分にあった人生を自由に選んでも、
実現できる社会になっているはずだと思わずにいられません。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
![](http://p.potaufeu.asahi.com/nakamaaru/img/nakamaaru450_450.gif)