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今日は晴天、ぼけ日和

偏見に満ちた苦い記憶 それから20年 異を唱え続けた先にある希望

《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

テープを巻く女性を見守るスタッフ

2000年代に入ってすぐの頃のこと。

ある医療機関では、
認知症がある人たちに数時間、同じ作業をするように課していた。

「落ち着いてもらうために、同じことを繰り返してもらうんです」と、

そう話すスタッフの声には、どこか後ろめたさがあった。

うつろな目でテープを巻き続けるひと

ぐるぐるぐる、
認知症がある人たちは、紙テープを筒状に無言で巻き続ける。 

スタッフは巻き終わった紙テープを、
できたそばから、ほどく。 

そして、また患者さんたちにそのテープを巻いてもらう。
——その繰り返し。 

患者さんの目は誰もが、うつろだった。 

笑顔のひと、涙をこぼすひと

「痴呆(ちほう)症がある人が、騒がないようにしてるんです」と、
スタッフの目にも光はなかった。

あれから20年以上。

現場は変わった。

誰かの深い後悔と、
希望を捨てなかった本人たちの歩みがつくった、今。

今回は、私の脳裏から離れない、苦い記憶を取り上げました。

20年ほど前、私がまだ介護福祉士として働く前に、ある医療機関を見学にたずねました。
当時は、まだ認知症という呼び方ではなく「痴呆症」とか「呆(ぼ)け」と呼ばれていました。

その院内では「痴呆症になったら、本人はなにもわからなくなる」という見解が当たり前にありました。

今となってはひどい偏見に思えますが、当時においてはそれも、
世間一般と差異がなかったように思います。

言うまでもなく、認知症がある人を「なにもわからない、できない人」にしてしまったのは、
周りにいる私たちの無知にありました。


それから約20年間。

心ある医療・介護従事者の方々や、
そしてなによりも、認知症があるご本人・ご家族が、
その誤解をとくために必死に尽力されてきました。

そのおかげで現場は少しずつ、けれど私の足元でも実感できるほどに、明らかに変わりました。

「認知症になっても、本人そのものは変わらず、個々にあった人生を選んでいける」という事実が、広まっています。

ならば、これから次の20年は、
誰もが自分にあった人生を自由に選んでも、
実現できる社会になっているはずだと思わずにいられません。

 

 

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

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