介護保険が使えない?若年性認知症の人の前に立ちはだかった制度の壁
イラスト/天野勢津子
認知症のケアや医療の現場にある様々なバリア(壁)。どのようなバリアがあり、それを超えていくために、私たちには何ができるのでしょうか。大阪の下町で、「ものわすれクリニック」を営む松本一生先生とともに考えていきます。今回のテーマは、「制度のバリアを超える」です。
みなさんの中には「制度のバリア」と聞いても、「それって何のこと?」とピンとこない人もおられるのではないでしょうか。
もう四半世紀近く前になりますが、2000年(平成12年)に公的介護保険制度ができるまでは、ケア領域のこと、たとえば特別養護老人ホームの入居などについては、福祉制度による「措置」でおこなわれてきました。措置の仕組みでは、行政が福祉サービスの利用先や内容などを決めます。それが介護保険制度という「保険」という制度になったことで、世の中は大きく変わりました。
制度が違うから使えないってどういうこと
若年性認知症の人のなかには、制度の違いという「バリア」で苦しんでいる人もおられます(今回も人権に配慮して仮名でお伝えします)。
中村秀和さん(38歳)は仕事中に判断ミスが増えたため、半年前から上司に「医療機関を受診するように」言われてきました。自分では自覚がなく、「受診して病名を告げられたらマズいな」と思っていたこともあり、つい受診を先に延ばしていました。そうしていたところ、ついに取引先との会合の約束を全く忘れてしまい、上司から、会社の産業医のクリニックを受診するよう言い渡されました。
そこで検査をし、結果を見た産業医は、若年性アルツハイマー型認知症を疑い、近くの病院にある「認知症疾患医療センター」を紹介し、受診するよう促しました。産業医の見立てはその通りで、中村さんは若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。
中村さんは妻(33歳)にこのことを話そうと考えましたが、38歳で「ものわすれ」の検査を受けたなどと、自分から説明する勇気が出ませんでした。でも産業医が妻にも連絡してくれ、会社も前向きに考えてくれたため、退職せずにより簡単な作業の部署に異動させてくれることになりました。
中村さん自身は、若年性アルツハイマー型認知症の診断を聞いてショックでしたが、この先も妻と生活していくために、社会から引退するわけにはいきません。妻も在宅で介護する道を見つけようとしてくれました。
介護保険制度が使えない!
ところが、介護保険の制度を活用しようとしたところ、大変なことがわかりました。公的介護保険は65歳以上なら第1号被保険者として何の問題もなく介護サービスを使うことができます。65歳未満でも、老化に起因した病気の人など一定の条件を満たす人は、第2号被保険者として介護サービスを利用できます。しかしその年齢の範囲が40歳から64歳までなのです。38歳の中村さんはあと2年ですが年齢に達していなかったため、第2号被保険者として介護サービスを利用することができる対象にはなりませんでした。困り果てた中村さん夫妻に対して、認知症疾患医療センターの社会福祉士が、若くても使える精神保健の制度を説明してくれたため、そちらの制度を利用しながら介護保険のサービスが使えるようになる時期を待つことになりました。
制度としての限界がある
みなさんはこの話を聞いて、どう思われましたか。「困っている人に対する支援なのだから、年齢だけの違いで利用が制限されるのはおかしい」と思った人も少なくないと思います。しかし制度や保険は、公平性の観点から、しっかりとその基準を満たす人を支える半面、適合しない人は救うことはできないようになっています。
この国の社会保障制度の中には、大きく分けると「高齢者の制度」と、「精神障害を持つ人の制度」という大きな(別々の)流れがあります。このため、高齢者の制度と位置づけられている認知症では、使える制度に限界があり、前述したように、若年性認知症当事者や家族が困ってしまうことがでてきてしまうのです。
そのような場合には、ぜひ社会福祉士など、制度に詳しい人の力を借りてください。各地にある地域包括支援センターなどでは、社会福祉士が常勤しているため、そのような福祉制度や行政サービスをどのように活用すれば良いか、相談に乗ってくれます。行政の窓口でも認知症をはじめとする病気の時に活用できる制度について教えてもらうことができるはずです。
なぜ、バリアになるのか
ボクも医者としての自分の知識に比べると、福祉制度や介護保険制度についての知識は乏しいです。ですから、患者さんが使える制度や手続きに関しては、社会福祉士に聞いて、患者さんに伝えるようにしています。もし、ボクが「自分は医療の専門家だから制度のことは知らない」と考え、本人や家族から出た質問に対して「それは医療や医学の問題とは違うから、ボクは知りません」と答えたならば、認知症の人や家族は、当たり前の疑問や制度を知るための質問をする意欲をそがれてしまい、その後、誰にも相談できずに闘病することになってしまうでしょう。その結果、制度のバリアができあがってしまうのです。
専門外であっても、たとえ少し間違っていたとしても、ボクが医療以外の制度について知っていることが、実は患者さんが聞きたいことを聞けなくしてしまうという最初の『バリア』を取り除くために、最も大切なことだと思っています。医療者は介護や福祉制度について、介護職は医療や福祉制度について、そして福祉に携わる社会福祉士や精神保健福祉士は医療や介護について、それぞれが連携しながら、自身の専門域を超えて「ちょっとおせっかいな程度に」他領域の情報を深めていくことが、制度のバリアを克服するために必要な考え方なのだと思います。
みなさんもご自分、そしてご家族のことを考えて、あえて専門外のことを医療者や介護職などの支援者に聞いてみてください。みんなが専門の垣根を取り払って協力してくれてこそ、認知症の人や家族が安心できる社会を作ることがでるのですから。