施設に入ったら人生終わり? 思い込みを覆した義母の驚異的な回復
イラスト/天野勢津子
認知症のケアや医療の現場にある様々なバリア(壁)。どのようなバリアがあり、それを超えていくために、私たちには何ができるのでしょうか。大阪の下町で、「ものわすれクリニック」を営む松本一生先生とともに考えていきます。今回のテーマは、「入居施設(高齢者施設)とのバリアを超える」です。
入居(入所)は人生の終わりではない
ボクが認知症を診る医師として診察してきた33年間に、認知症の人のご家族からよく聞かれる言葉に「先生、うちの親は入居したらもう終わりですよね」という意見があります。誰でもできる限りは家族と一緒に自宅で過ごしたいと思うのは当たり前のことです。
しかし、私が関わってきた多くの人は在宅ケアよりも高齢者施設などに入居した後に、落ち着いて意味のある人生を送りました。「入居」が在宅よりもその人の生活を安定させた例として妻の母親のことをお話したいと思います。
妻の母はひとりっ子であった妻がボクと結婚した直後に(妻の)父が進行がんで亡くなったあと、独居生活になりました。親戚との付き合いも少なく「うつ状態」をくり返したため、ボクの京都の自宅に呼び寄せて、同居での生活が始まりました。しかし、娘の夫のボクに対する気兼ねもあったのでしょうか(ボクは妻より妻の母の方が仲良しだと思っていましたが…)、日々、体の不調と気分の沈みを訴えて20年近くが経過しました。
その後、少しずつ「物忘れ」が出始めて、妻も在宅で介護するのが限界になりました。それまでは「できるだけ在宅でケアする。どうしてもだめになったら高齢者施設などに入居してもらう」と妻もボクも思っていましたので、妻が介護の限界を悟った時に「これはもう無理だな」と思い、「妻の母の人生もこれで最終段階になったな」と覚悟しました。その半年後、義母は京都市の北にあるケアハウス(軽費老人ホームの一種)に入居することになりました。
入居した後しばらくは、妻の母からの「元の家に帰りたい」との訴えが続き、入居を継続できるか心配でしたが、半年ほどたつと訴えがずいぶんと減ってきました。
自宅(ボクの家)へと外出、つまり帰宅(外泊)した日でも「うちに帰ります」と言ってケアハウスに戻っていくようになりました。職員さんに聞くと、「おかあさんは入居して半年ほどたったころから、自分以外の誰かが困っている姿を見ると相談に乗るようになり、そのころから様々な体の訴えがなくなって、今では何人かの友と一緒に歌舞伎を見るためにタクシーで出かけるようになりました」というメッセージが返ってきました。
びっくりです。認知症専門医として「もう多くのことができないだろう」と在宅では思っていたのに、人との交流の中で多くのことができるようになるなんて! そういえば妻の母は、脳の前頭葉(思考や感情などと関連が深い)の変化が少なく、前向きに自分の役割を演じることで元気を取り戻したようです。
私も妻も母本人のケアをすることばかりに目が向いてしまい、本人が「自分にはこんなこともできる」と自覚できることをしてもらう機会を奪っていたことに気づきました。たぶん、妻の母のケースはラッキーな展開だったのでしょう。
そうだったとしても、ここでボクが伝えたかったバリアのひとつは、介護者側が持っている入居への「固定観念のバリア」です。高齢者施設などに入居したらおしまいだと心のどこかで思っていた固定観念をいま一度疑ってみることで、施設との間にあるバリアを克服できるかもしれません。
感染症との闘い
でも、そうは言えない状況が新型コロナ禍で起きました。感染症の性格上、行動制限や外界との接触の機会を減ずる措置がとられた結果、高齢者施設に入居している多くの人が家族と会えない、外出できない、これまでのようなリハビリを受けることができない、といった制約を受けました。従来、高齢者施設の中には「いつでも自由に生活できる」とうたってきたところもありましたが、新型コロナ感染症の拡大期での施設の対応を契機に、家族が「入居(入所)」の際に持つイメージが大きく変わってしまったように思います。在宅でいつも家族とともに過ごす日々と、何かあればあっという間に面会や外出、外泊に制限がかかってしまう入居での生活。そのギャップをどのように超えていくか考えてみましょう。
ここでのバリアは「こころのバリア」ではなく、まさしく「物理的なバリア」です。感染から避けるために距離を置き、ウイルスに触れないように隔離することです。
でも今回のパンデミックでは、この「こころのバリア」と「物理的なバリア」が同一視されてしまいました。本当は「感染を防ぐために、距離はとらなければならないけれど、こころはこれまでと同じように寄り添うことが大切でした。でも、ボクも含め無知の新たな感染症(ウイルス)による恐怖が何よりも先に立ってしまい、バリアを無くすどころか、むしろバリアを高めてしまいました。この傾向は施設職員にはクラスターの発生への恐怖を、介護家族には感染拡大の恐怖を高め、これまで大切にしてきた家族との面会や外出の機会を奪ってしまいました。
この教訓から私たち(入居施設も介護家族も)は「感染防御」と「人とのふれあい」という、一見すると矛盾する2点が並立する入居の形を模索する必要性があることを学びました。新型コロナウイルスの感染拡大初期にあった過剰な恐怖感はだいぶ克服できました。しかし、感染症はこれからもくり返し襲ってきます。今回の経験をもとに私たちがこの課題を克服できる日が来れば、私たち自身の内なるバリアとともに、入居施設とのバリアをも超えていくことができるでしょう。