患者の涙にハッとした医師 専門医も陥った認知症の人への無意識の偏見
イラスト/天野勢津子
認知症のケアや医療の現場にある様々なバリア(壁)。どのようなバリアがあり、それを超えていくために、私たちには何ができるのでしょうか。大阪の下町で、「ものわすれクリニック」を営む松本一生先生とともに考えていきます。最終回となる今回のテーマは、「自分が持つイメージのバリアを超える」です。
医師になって30年超、経験を積んだ臨床医で、特に自分が専門とする認知症についてならば、豊富な知識を持ち、不安も迷いもなく、認知症の人に対応していると思われるかもしれませんが、実は常々迷いながらやっています。しかも相手は生身の人間、それぞれに経過や状態が異なります。そのような日々でボクの邪魔をするのが、自分の中にある「無意識の偏見」という最大のバリアでした。
認知症の人には「できない」というイメージ
ボクが医者になって5年ほどたったころのこと、ある大病院から西田悟さん(仮名)が紹介されてきました。息子さんとともに来院した西田さんは、アルツハイマー型認知症の82歳男性です。認知機能検査の長谷川式スケールで30点満点中の5点しか点数が出ず、「重度の認知症」と診断されていました。当時は認知症診療をする医療機関が少なく、介護を自宅近くでおこなうために息子さんが大病院の医師に当院のことを話し、やって来たのでした。
初診の時、ボクは西田さんにいくつかの質問をして反応を見ました。いくら待っても答えは返ってきません。「やっぱり認知症が進んでしまっているな」と感じました。横にいた息子さんも「これまで父には仕事でもプライベートでもずいぶん助けてもらいました。父の会社を継いで今があります。そんな父が認知症になって、私は自分の接し方が悪かったのではないかと反省しています」と落胆していました。
ボクはそんな息子さんの気持ちを支えようと思い、「お父さんは認知症が進んでしまっていますが、息子さんを支えたいと願う気持ちは、以前と変わらないと思います。今は言葉の理解もできず、反応が返ってこないかもしれませんが、息子さんが父を思う気持ちは伝わっているのではないでしょうか」と2人の前で話しました。
親しければこそ、迷う
すると突然、西田さんの表情が崩れ、目から涙があふれだしました。突然のことに驚いた息子さんは、ボクのほうを見ながら「先生、これってオヤジには先生の今の言葉がわかったのでしょうか」と聞いてきました。
彼よりも驚いたのはボクのほうです。アルツハイマー型認知症の重度だと思い込んでいたのに、こうして涙を流している西田さんを目の前にして、ボクは「しまった!」と思いました。
西田さんに起きていたことは、ひとつはアルツハイマー型認知症による症状でした。しかし同時に西田さんにはもうひとつの症状が重なっていました。それは彼が言葉を発するときに必要な脳の「運動性言語中枢」に萎縮があったため、頭の中では言われていることをしっかりと理解できているにもかかわらず、いざ、言葉を発しようとすると、言いたい単語や言葉が出なくなってしまう、失語といわれる症状でした。
これまで、医師が西田さんの失語に気づくことなく、アルツハイマー型認知症としての診療や対応に終始したため、西田さんは「自分には目の前で言われていることを理解する力がある」という事実を、誰にも伝えることができなかったのでした。
一方で、何を聞いても答えが返ってこなければ、誰でも、その人には答える能力がなくなっていると思うものです。とくに息子さんは、かつては何でもできた父親のイメージが強いだけに、父にできないことが増えると、過剰なほど「できなくなった」と心配して、何度も何度も西田さんに「オヤジ、これはできるか」、「これは答えられるか」と聞き続けていたのでした。深く傷つき、父親のことを案じたからこその息子さんの対応でした。
自分の偏見に気づく
しかしボクもまた愕然(がくぜん)としました。西田さんの状態を大病院の検査結果から重度の認知症と思い込み、彼のこころに配慮することなく目の前で「この人は何もわかっていません」と息子さんに説明したのですから。精神科医として初歩的な、しかし絶対に犯してはならないミスをしてしまいました。ボク自身がいつの間にか「認知症で長谷川式スケールが5点しかなければ、言っていることは何もわからない」と決めつけて、その後の診察を続けたのです。まさに「無意識の偏見」でした。自分の中に潜んでいた、「認知症の人は何もできなくなっていく」という偏見に気づかずに、認知症の人と向き合っていたのでした。
それ以降も、さまざまな場面に出会いました。自分のなかでは言いたいことがあったのに、介護してくれる妻に「申し訳ない」と思って何も自分の意見を言えなかった夫。息子があまりにもくり返し「これ、覚えているか」と試すために、腹を立てて息子には何も話をしなくなった母親など、認知症になっても周囲を思いやったり、時には怒ったりといった感情がしっかりと残っていることがわかります。また、長い歴史がある家族の関係は、ただ1度の診察では計り知れないことを30年超の臨床を通じて学んできました。
迷いながらも希望を捨てず
だからこそ、今は、目の前に座った「認知症の人」が検査結果によって、「この程度だろう」と推察されるとしても、診察室ではその人に向かって話をし続けます。そのことが何かのきっかけとなって、できないと思っていたことが、実はできるのだと再確認する場面があるからです。一見すると無駄に思えるかもしれないその語りかけ、そしてそれに反応してくれる当事者の言葉やしぐさを大切にする診療こそ、ボクが今でも自分の中にある偏見や「決めつけ」というバリアを乗り越え、新たな希望が見つけられるようになることにつながると思っています。
実は、最近、これまで10年間在宅で介護してきた妻が入院しました。新型コロナに感染し、誤嚥(ごえん)性肺炎を起こしたうえに、これまで強迫性障害を抑えるために投薬していた薬による体力低下によって高熱を引き起こしました。今回の入院をきっかけにボクの介護人生にも変化が出てくるようです。こんな時こそ希望を失わず、光を求めつづけます。
連載「バリアを超えて、認知症とともに」は今回で終了です。長い間、読んでいただいてありがとうございました。