認知症とともにあるウェブメディア

バリアを超えて、認知症とともに

災害時に高齢親を呼び寄せる?家族の意見をこじらす善意と愛情

高齢者と避難するひと

認知症のケアや医療の現場にある様々なバリア(壁)。どのようなバリアがあり、それを超えていくために、私たちには何ができるのでしょうか。大阪の下町で、「ものわすれクリニック」を営む松本一生先生とともに考えていきます。今回は、家族の間にある“考え方”のバリア(壁)についてです。

2024年の元日に発生した令和6年能登半島地震から1カ月半以上が経過しました。ボクは1995年に起こった阪神淡路大震災の直後、ありったけの向精神薬をリュックに詰めて神戸の患者さんの元に通って以来、中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)など、できる限りの支援を続けてきました。リュックに向精神薬を詰めたのは、避難所にいる人々の中には、せん妄や不眠などに苦しむ人が多くいるためです。熊本地震(2016年)では、妻の介護が始まっていたためボク自身は現地に行くことはできませんでしたが、パソコンを通じて現地の医師や県庁の職員さんに対してアドバイスをしました。今回の能登半島地震も現地には赴けませんが、できることで、認知症当事者や家族の生活を支えたいと思っています。

避難のため場所が変わると

避難所での生活が認知症の人に大きく影響することは、皆さんよくご存じだと思います。リロケーションダメージといって、慣れ親しんだところから移動すると「認知症が悪化する」と一般的に言われていますが、これには悪化しやすい「時期」があります。このため日々の診察の中では「あなたがケアしているお父さんの場合、生活が変わると悪化するかもしれません」とアドバイスすることもあれば、「お母さんの場合には、転居しても新しい環境になじめると思います」と伝えることもあります。

傾向的には、認知症が進んで自分がどういう環境にいるかわからなくなると「場所的見当識の低下(失見当とも言います)」のため自分がどこにいるのかわからなくなり、不安や焦りの気持ちが出るため、場所の移動は認知症を悪化させる危険性が高まります。この段階では睡眠・覚醒のリズムも乱れやすくなっているため、ロケーションを変えることによるダメージがより出やすくなります。

あれから約20年たった能登では

ボクは約20年前、石川県能登地方の保健福祉センターの依頼を受け、数年間にわたって認知症の家族支援、地域でのサポートのために訪問したことがあります。このように思い入れのある地域ですから、今回の地震でも早く、以前のような日々の生活が戻るようにと願ってやみません。

しかし約20年前から思っていたことがあります。それは能登半島では当時から高齢化率が高く、それぞれの街に行くにも海沿いの国道を使わなければならず、「何かが起きれば大変だ」ということでした。かつて平成19年能登半島地震(2007年)がありましたが、あの地震の後、何組かの認知症介護家族から本人の悪化を知らされました。今回の地震でも復旧に時間を要する懸念が出ています。

避難時、家族の意見の相違が出やすい

「東京で暮らそう」「地元に残ろう」

2007年の能登半島地震の際、認知症ケアの相談を受けていた田中さん一家(仮名:個人名も同様)がいました。ケアを受けている父親の正次郎さんが血管性認知症になり、デイサービスを週3回ほど受けていましたが、そこに地震がきてデイサービスは中止、自宅も被災しました。長男は東京に住んでいて、一刻も早く正次郎さんを東京に呼び寄せ、リハビリテーションを積極的に採り入れたいと申し出ました。しかし、これまで両親と地元で同居してきた次男は慣れ親しんだ自宅から東京に行くことで認知症が悪化することを恐れました。

その後の家族の話し合いで正次郎さんは能登にとどまることになりました。数日でライフラインが回復するから、このまま復旧を待つのが良いと結論づけたのです。しかし、都市部で起きた阪神淡路大震災の時とは事情が異なっていました。道路や水道、電気、ガスといった生活のインフラが戻るのに、より多くの時間がかかってしまったのです。不自由な生活は、正次郎さんの日常生活を激変させ、ほぼ毎日、臥床して過ごすことが多くなり、寝たきりになりました。

善意と愛情による発言ほどぶつかりやすい

もちろん、この経過は一つの例に過ぎません。早々と転居して認知症が悪化した人もたくさんいました。早く「呼び寄せた」結果、うまくいった例も数々ありました。しかし、田中さん一家の経験の教訓は、誰もが「最も良いと思うこと」を話し合う、善意の介護者同士の意見ほどぶつかりやすく、対立するとこじれやすいということです。正次郎さんの場合も、長男、次男ともに、この先に待ち受けている困難なケアを自分が引き受ける決意をもって「自分がケアする」と宣言したのです。けれど、とても残念なことに、これをきっかけとして2人の息子さんは、その後の交流を絶ってしまいました。

相手の立場からを思いやること

ケアの領域ではよくあることですが、何が正解で、何が間違っているか、やってみないとわからないことがたくさんあります。とくに災害の時など、より先が見えないために、後になって介護家族全体がもめてしまうといった、悲しい展開もあります。もちろん誰のせいでもありません。

そのようにならないためには、常々から介護の体制をどうするか、話し合っておくことが大切です。そして「自分の意見は、この今の自分だからこそ出る意見ではないか」と、常に自分を振り返ってみることが大切です。平時にベストだと思ったことも、緊急時にはそうではなくなることもあります。

災害など緊急事態が起きた場合、完全な正解はありません。それゆえに、その後のケアを家族みんなで乗り越えるには、たとえきょうだいや家族であっても、自分とは異なる意見が出ることを受け止め、相手が発する意見に耳を傾けることが、意見の相違という大きなバリアを克服する力になるはずです。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について

認知症とともにあるウェブメディア