薬の処方は要・不要?医師と介護で違う意見 立場の相違をどう埋める?
イラスト/天野勢津子
認知症のケアや医療の現場にある様々なバリア(壁)。どのようなバリアがあり、それを超えていくために、私たちには何ができるのでしょうか。大阪の下町で、「ものわすれクリニック」を営む松本一生先生とともに考えていきます。今回は、介護と医療の間にあるバリア(壁)についてです。
みなさんは「地域包括ケア」という言葉を知っていますか。認知症の人をはじめとする高齢者や障害のある人などを、福祉・介護・医療が一体となってサポートし、さらには公的な制度だけではなく町内会やボランティア、地域で活動する任意の団体なども含め、「地域みんなで支えていこう!」というものです。福祉、介護の考え方にもとづく支援とともに、医療もしっかりとかかわることが大切ですが、今回はその制度の中核となる介護と医療の間にあるバリアを超えることが、案外と現場では難しいという話を紹介したいと思います。(登場する人のプライバシーに配慮して、細部を一部変更しています。)
63歳のアルツハイマー型認知症 山本和樹さん(仮名)のこと
山本さんは若年性認知症になってから3年が経過しました。60歳まで父親と母親の介護を30年にわたって続けたため、結婚する機会を逸して独身生活を続けていました。妹が1人いましたが、山本さんが38歳になったときに子宮がんで他界し、身近に親族はいません。
父母の介護を終えてしばらくしたころのことでした。「近所でひとり暮らしをする山本さんが夜中に大声を上げる」という住民からの相談が、地域で活動している「認知症初期集中支援チーム」に寄せられました。認知症初期集中支援チームというのは、認知症ではないかと疑われる人や認知症と思われる人、その家族らに対して、医療や介護の専門職でつくられたチームが早い段階で関わり、支援する仕組みのことです。ずっと関わり続けるのではなく、その人に合った医療や介護の体制ができれば、担当になった医療機関やケアマネジャーにバトンタッチをして、チームはまた次のケースに移っていきます。
山本さんの場合は、約6カ月間の集中的な支援の間に、頭部のMRIを撮影し、諸検査を終えて若年性アルツハイマー型認知症を診断されました。その後、要介護認定では要介護1の結果が出ました。ケアマネジャーが決まり、医療分野についてはそれまで通っていた整形外科医院の医師が担当することになりました。いよいよ支援体制ができたるかと思われたときのことです。
主治医とケアマネジャーの意見の相違
整形外科の医師は夜間の大声を認知症の悪化として判断し、抗認知症薬を処方しました。頭部MRIを見てもアルツハイマー型認知症に特徴的な変化(脳の萎縮)が起きているため、医療として定められた薬を処方したのです。
一方で、ケアマネジャーの女性は、ホームヘルパーとしての経験が長く、ケアマネジャーの試験に合格した努力家でした。
ここで医師とケアマネジャーの意見が分かれてしまいました。医師は「画像所見に基づき、定められた処方をすることで、山本さんの混乱は収まる」と判断したのですが、ケアマネジャーはその薬の投与によって山本さんの昼夜のリズムがかえって乱れてしまうと感じていたのです。医学での「診たて」と介護として「その人の生活全体の様子」を見た判断との間に、考え方の違いが出てしまったのです。
このときは、整形外科医が処方した薬の投与後、ケアマネジャーが予想したように、山本さんの生活は一層乱れ、昼はぼーっとし、夜にはより一層大声をあげるようになってしまいました。
その後、山本さんは、整形外科からの紹介で地域病院にある認知症疾患医療センター(地域の認知症医療の中核として診断と、初期対応、相談支援などを実施する医療機関です)を受診し、そこで医学的な診断だけではなく、介護の面からの注意点などを知ることができました。その結果、整形外科医とケアマネジャーの意見の食い違いは解消し、薬の投与は見直され、山本さんの昼夜逆転も解消しました。
考えの差を超えて
一見するとみなさんは医療と介護は同じように認知症の人を理解しているように思われるかもしれません。しかし、実際の現場では両者の「ものの見かた」が異なるために混乱することがあります。
医療は目の前にいる人の課題点を見いだし、その課題に対する解決(治療や処方など)をおこないます。言いかえれば、改善すべき点を抜き出して、医療のルールで定められた治療をすることで、一定の効果を出すことを目指しているからです。
一方、介護の世界は目の前にいる人の生活全体を見ながら、どのようにケアすればどういった状態になるかに重点を置いて考えます。どちらもその人のために行うのですが、考え方の方向性に違いがあるためか、時に意見が異なることがあるのです。
こうしたバリアを防ぐために、ボクは常日ごろから、医療者は自分の専門以外に、介護の考え方を知るようにしてもらいと思っています。介護職の場合には「薬のことなどは医療の話だから私たちには関係ない」というのではなくて、「たとえ専門外であって、自分が担当する領域でもなくても、あえてその分野の知識を持ち、ものの考え方を知ってほしい」と言い続けています。
もちろん、医療者にケア論を知るようにと言っているのでもありません。介護職の人に「薬の処方について意見を言え」というのではありません。お互いが自分の専門を守りながら、相手の立場に立った場合には、こういった意見が出てくるだろう」と推察できるように、日ごろからお互いの「考え方」を知ってもらいたいと思っているのです。
地域包括ケアの本当の実現のためには、自分以外の専門職のことを知り、敬意をもって考える「こころの広さ」が求められているのです。