カッとして高齢家族に手を上げてしまった…そんな時こそ話して欲しい
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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高齢の家族に、手をあげてしまった。
トイレ介助中に大声をあげられて、
カッと、してしまった。
この手が、その細い太ももをたたいてしまった。
日々、しぼんだ口に、スプーンでごはんを運んでいる、
その同じ手で。
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本当はどこかで、
私はいつかやってしまうかも、と
おびえていた。
私はわたしのなかの、一線が、
揺れ動いているのを知っていた。
でも、このほのぐらい感情を、
自分で認めたり、ましてや誰かに話したりすることなど、
どうしてできただろうか。

でも、今、なのかもしれない。
今こそ、私はだれかに話すときなのかもしれない。
弱さを人に、話せる強さ。
そのほのかな光が胸に、灯(とも)っている。
家族に手をあげてしまった。
あるいは暴言をぶつけてしまった。
真面目でがんばりやな人ほど、
その事実をだれにも話せないものです。
私自身、過日のそれらの状況を思い起こしても、
いまだに全身の力が奪われていくような無力感を味わいます。
一線をこえてしまった、その時。
真っ白になってしまうことでしょう。
でも自暴自棄に陥る前に、大切なこと。それは、
「自分だけでなんとかしようとしない」に
つきると思うのです。
周りに適当な相手がいなくても、インターネットで検索すれば、
Web上で介護の悩みについて話せる会が方々に存在し、
私も毎月、あちこちに参加しています。
たくさんの場をもつことで、もし、そこが合わない雰囲気であっても、
気分によって、別のところに行ったり来たりができるわけです。
「ほんと、むかついちゃう」
「あの、くそじじい」
「どうしていいか、わからない」
そんな悪口・ご自身の弱みを、自嘲しながらでもこぼす人の姿は、
ご自身が思う以上に、外にけなげに生きる光をはなっているもの。
それでも口が開けないときは、
同じような環境で悩んでいる人の話に、ラジオを聞くかのように耳を傾けているだけでも、
こころが、軽くなっていきます。
人が自分のうちがわを周りに共有することは、
誰かの痛みをやわらげることでもあるのです。
小さなつながりを持っておくことこそ、介護の命づな。
ちょっと手を伸ばせば、それはあります。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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