「監視されている」と山田さんが怖がって指さす路地 一緒に覗いてみたら
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
山田さんは、その路地の前を通るたび、
顔が、きゅっと険しくなる。
「見て。
なにか怖いものが、こっちを監視してる」
そうやって、いつも私に注意喚起する。
私にはなにも見えないが、
認知症が進んだ山田さんには、なにかが見えているらしい。
いつも私はうなずいて、一緒に足早に過ぎる。
でも今日は、思いきって。
「山田さん。私、見てきます」
不安にさせてしまうかな、と思ったけれど、意外や意外。
いつもはおびえている山田さんが、
「それなら、私も行くわ」と勇気凛々。
私たちは、身を寄せあって、
ドキドキその路地に近づいた。
角をのぞくと、バサバサバサバサッ!!
「わっ!」
「ひっ!」
ハトが飛び立った!
「あなた怖がりね!ただのハトよ!」
「山田さんだって、腰を抜かしそうでしたよね!」
私たちはお互いの雄姿を、笑ってたたえた。
暗かったはずの路地には、
とっくに、明るい光がさしていた。
「あのときは、笑ったわね~」
それ以来、路地の前を通るとき、
山田さんはそう話すようになりました。
昨日のことはもちろん、直前のことも忘れてしまうほどに、
認知症が進行していた山田さんです。
けれど、この一件においては断片的にではありますが、
ずっと覚えていらっしゃいました。
なにより、もうその路地で、
「なにか怖いものに監視されている」と、おびえなくなられたことに、私はほっとしました。
思えば、それまで私は、
「なにかが見てるんですね」と繰り返しながら、共感の姿勢を貫くなどして、
山田さんに安心してもらおうと、必死でした。
だからまさか、
「一緒にこわごわ見に行って、笑いあってみた」
そんな単純なことが、こんな結果を生むなんて、
思ってもみなかったのです。
山田さんには認知症がある。
だからできるだけ、共感の姿勢を崩さないように、
「対応」しなければ。
私のなかにある、
介護福祉士としてこうあるべき、という思い込みが、
山田さんと、私のあいだに自然にあるはずの、
「人間関係の不確かさ」や「笑い」を
奪っていたように思います。
当たり前の人間関係を教えてくださった、
山田さんに感謝を込めて。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》