ちょっといい珈琲豆を父へのお土産に そこから始める私の遠距離介護
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
今日は半年ぶりに、
遠方に住む、父に会いに来た。
いつもは同居している妹に、父の介護を任せっぱなしだ。
私は、どうやって父の介護に関わればいいのだろうか?
たまに来たって、やることひとつ見つけられない。
そんな後ろめたさから奮発して、
ちょっといい珈琲豆を、お土産に持ってきた。
若いころの父はよく、
珈琲をドリップでいれていたと、
亡き母が言っていた。
「久しぶりだから、うまくできないよ」
「大丈夫、だいじょうぶ」
珈琲の香ばしい香りが、部屋に満ちる。
いつもなら、いまさら話題もなく、
どこか他人行儀に過ぎていくだけの時間が、今日はにぎやかだ。
いつもより表情ゆたかな、父の顔を見ていたら、
父と過ごせる時間は多くない、と
当たり前のことに気づいた。
初めて父がいれてくれた珈琲は、ちょっと薄かったけれど。
「おいしい! 次、来たとき、また飲みたいな」
「じゃあ毎日、練習しなきゃな」
残された、私たちの時間。
「お父さん、今日は珈琲、おいしくいれられた?」
私なりの介護は、そんな電話から、
はじめてもいいのかもしれない。
遠くに住んでいる、高齢の家族になにができるだろうか?
毎日、そばで介護をしてくれている人たちに感謝はしつつも、
なにも手が出せない自分の、歯がゆさと遠慮から、
電話一本するにも気がひけてしまう。
——悲しいかな、そんなお話をちらほら伺います。
家族への気持ちはあるのに。
一緒にいられる時は、わずかだとわかっているのに。
けれど、介護が終わったその後で、
あんな遠慮はいらなかった、
ただ自分も一緒にいたかったんだ、と
シンプルな本心に気づいたときの後悔は、計りしれないものです。
だから、遠方だったり、なにか事情があったりして、
直接、介護に関わっていない方も
自分なりに家族のしめくくりに気持ちを向けていることを、
大切にしてみてはいかがでしょうか。
それぞれの家族に事情があり、介護のやり方があります。
介護の主たる柱にはなれなくても、
自分なりに関わろうとしていることこそが、
その人なりの介護だと、私は思っています。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》