認知症とともにあるウェブメディア

今日は晴天、ぼけ日和

こんがらがる君の言葉 耳をすませるだけでなく 五感と心を傾けて聞くよ

《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

話をする君、理解できない僕

大切な友達の、君。

君の言葉は、
よくこんがらがって、

日本語でもなくなって、

僕の理解が追いつかなくなる。

君の気持ちを知ろうとする僕

でも、君が、

どんな気持ちで話しているのか、

ふんわり伝わってくるものを、
心で聞こうとしているよ。 

だから僕もできるだけ、
君の気持ちに近づけた言葉で返すんだ。

大切な友だちの君と僕

大切な友達の、僕ら。

僕らが、だまっててもなんとなく
通じあえるのは、きっと、

言葉の意味より、お互いの気持ちに

耳をすませているからじゃないのかな。

相手からの会話が、混乱して聞こえるとき、
そのたびに立ち止まります。

どうしたら、お互いに気持ちよく、
コミュニケーションを深めていけるだろうか、と。


これがベスト、というような唯一の方法などないでしょう。

けれど、ひとつの案として、
こんなのはどうでしょう?


認知症が進行されていたり、心身に障害があったりする相手から、

「あの、車の………昨日………私の、見つけて、いこう。それから……」という、

会話があったとき。

そのひとつひとつに、

「車ですか?」
「昨日、なにかありましたか?」
「なにを見つけたいんですか?」

——と、伺っていくのは、
私はお互いに負荷がかかるな、と思うのです。

もちろん、聞き逃してはならない、
なにかを相手から感じたときは、
じっくり会話をひもとく必要があります。

けれど、なにげない日常のそれであれば、

情報の正確さよりも、
どんなお気持ちで伝えているのか、

楽しそうなのかな、悲しそうなのかな…と、

表情や声色を微細に感じとって、
どんなお気持ちで伝えているのか、想像してみる。

そうして感覚を研ぎすませるほうが、
自然なコミュニケーションが生まれる気がするのです。


私たちは普段、会話において、
正確な情報を伝えようとしたり、食い違いがないようにします。

つまり、きちっとした会話を成立させることに心を傾けがちです。

でもほんとうにそれで、
心は通いあっているのでしょうか。

会話で、心を通いあわせること。

そこにはいつもと違う、耳のすませかた、

五感を使って心で聞くということが、あるように思います。

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

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