紙パンツはこの世の終わり!? 一筋縄ではいかない男性のトイレ問題
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
さっきもトイレに行ったのに、
もう、ソワソワ。
必死に見つけたトイレに飛び込み、
ギリギリセーフ!
最近、体がずっとこんな調子だ。
情けない。
俺の人生も、もう終わりだな。
帰宅して妻に話すと、
妻はゴソゴソと、なにかを差し出してきた。
「尿漏れパッドを使えばいいじゃない」
オムツじゃないか!
そんな恥ずかしいもの、使えるか!
いきどおる俺に、妻はあきれて、
「とりあえず、トイレに置いとくわね」と言った。
——あれから。
いつもトイレにあるから目が慣れたのか、
結局、俺はパッドを使うようになった。
長年がんばってきた体だ、
そりゃあボロも出てくるよな。
ありがとう、と自分をいたわりながら、
いつか迎えるその日まで、今日も。
私は40代ですが、たまに友人と、
「体の衰えからくる、トイレの困りごと」を話します。
下品な話でしょうか?
いえいえ、私はとても大切な時間だと思います。
シモのちょっとした悩みは、口にしづらいもの。
けれど同性の友人であれば、そこはずいぶん気楽です。
特に女性は、介護の経験があったり、
なにより生理用品を使い慣れていたりします。
なので、自分の体の変化に合わせて、
尿漏れパッドや紙パンツを取り入れやすく、
情報交換も行いやすいわけです。
それと比べて、ハードルが高いのは男性で、
そういえば祖父も、なかなか紙パンツを使ってくれませんでした。
しかもその紙パンツを見つめて、この世の終わりみたいな顔をしていました。
そういう時は本人にゴリ押ししても逆効果なので、
とりあえず買っておく、置いておく。
尿漏れパッドや紙パンツが、生活用品のひとつと思えるほどに目が慣れて、
本人から手が伸びるのを待つのも、一案ではないでしょうか。
なかなか話しづらく、しかも一筋縄にはいかない、シモのこと。
けれど、もやもやしたそのプロセスにこそ、
命の締めくくりを、マイペースで受容していけるヒントが、隠れているように思います。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》