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バイオテック侍のシリコンバレー日記

息子の記憶に元気な父の姿を残したい 米国大陸横断 初の親子旅・前編

ジェームズ川の朝日を眺める親子
ジェームズ川の朝日を眺めて。ま、まぶしい

“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(55)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、初めての息子との2人旅についてリポートします。

3月初め、息子(11歳)と2人だけで初めて旅をしました。行き先は、わが家が暮らすカリフォルニア州とはアメリカ大陸の反対側、東海岸にあるバージニア州の州都・リッチモンドです。

この旅には、2つの目的がありました。1つは、私が体調を崩し始めてから長い間、負担を背負い続けてきた妻にひとときの休息をプレゼントすること。もう1つは、認知症の進行具合によっては、さほど遠くない時間に、父親(私)の引率だけでは、息子と2人で知らない土地に行くことが難しくなってくるかもしれないため、その前に男同士の旅を実現したいという思いがあったからです。米国ではティーンエージャー(13~19歳)の息子と父親との時間は、子どもの人生にとって非常に大切だと考えられています。まだ認知症の症状が緩やかである今のうちに前倒しで実行し、息子の記憶にしっかりと父親としての姿をインプットしておきたい。そのような思いで、この大プロジェクトが始動しました。

もう11歳、来年から中学生。頼れる男へ成長中
もう11歳、来年から中学生。頼れる男へ成長中

バージニアを訪れることにしたのは、米国の小学校に通う5年生(最終学年)の息子の学校から出された卒業プロジェクトが発端でした。子どもたちは、くじ引きで割り振られた州を半年間かけて調べ、リポートを提出し、最後にプレゼンを行います。息子の担当は、バージニア州。子どもはもちろんのこと、両親ともなじみも無ければ取り立てて勉強したこともない州でした。さすがにMade in America 、つまり米国で生まれ育った息子は、それが東海岸沿いの州だとはわかっていましたが、両親の最初のリアクションは 「バージニアって…… 州の名前?それとも都市の名前?”」という程度。もちろん現地を訪れる義務はありませんでしたが、日本人夫婦にはあまりにもバージニアの知識がなかったので、「この際、行ってきたら?」という妻の一言で、まだ肌寒いと予想された東海岸への旅行が決定しました。

バージニアは首都ワシントンD.C.よりも少し南に位置しています。バージニアと言えば、独立戦争や南北戦争で重要な人物たちがD.C.に移動する前に暮らした歴史ある街(だそう)です。ネイティブのアメリカ人なら一定以上の知識があるのかもしれませんが、外様市民の私にとっては、スタート地点はウィキペディア。出発前夜にバッチリとプリントアウトして、準備をしました。

親は認知症、息子は “ミスター・ウープシー/デュープシー”と呼ばれる男。

*注:ウープシー/デュープシーとは、陽気なそこつ者のアメリカ人が、うっかり何か失敗した時に使う照れ隠しのごまかし言葉。「おっと、やっちまったぜ!」アメリカ映画でよく聞く 「ウープス!」の長いバージョンです。

この無謀にも見える“ミッション:インポッシブル”(実現が不可能そうに思える難しい任務)を成功に終わらせるために、妻がすご腕のエージェントとして、日程を念入りに計画し、フライトや目的地に関する要点をまとめたプリント類を2人ともに”配布“してくれました。

さぁ、珍道中の始まりです
さぁ、珍道中の始まりです

今回の旅は、サンフランシスコの空港からバージニアへの直行ではなく、行き帰りの両方で中西部の大都市シカゴに1泊ずつし、翌日の乗り継ぎ便で目的地に向かいます。

冬場の寒さが有名なシカゴに到着すると、ホテルの植え込みには、数日前に降った雪が残っていました。そして翌朝、シカゴ空港に向かう前に、早くも事件発生です。

ホテルで荷造りをしている時、息子のBB-8(ビービーエイト:映画スター・ウォーズの人気キャラ)の形をした旅行カバンをどこかに忘れてきたことに気づきました。中身は彼のジャケットと本のみでしたが、幼稚園のころに買った大のお気に入りの品。滅多に泣くことがない息子の目が、少しウルウルしています。「しまった……」と思いましたが後の祭り。自分がもっと気を配っていたら防げたのかもしれないと反省しました。

2016年の写真。5歳のときから常に旅行についてきたBB-8
2016年の写真。5歳のときから常に旅行についてきたBB-8

健康だったころの私は、非常に慎重な性格で、移動の前には忘れ物チェックを欠かさない人間でした。あまり経験したことがない失敗に、シカゴ空港へのタクシーの中で、口数が少ない息子を見つめながら、私も唇をかむ思いでした。空港に着いても、息子のむっつりとした遠くを見るような表情は変わらず、このままの状態でバージニアまで旅を続けるのはつらいなぁと考えていました。しかし旅行をやめるわけにもいきません。自分自身に発破をかけつつ、旅が良い方向へ向かうことを願うばかりでした。

バージニア行きの飛行機の中では、無表情のままゲームに興じる息子をよそに、早くも押し寄せてきた疲労感で、私はうとうとと眠りに落ちていきました。目覚めたのは、機内放送でもうすぐに着陸準備に入るというアナウンスがされる少し前。息子も少し眠れた様子です。窓のシェードを上げると、東海岸の都市によくみられるレンガ造りの建物や、工場の煙突、その間に流れる巨大なジェームス川が目に飛び込んできました。川はリッチモンドからさらに南東方向に向かって伸びて、ノースカロライナ州のすぐ手前の町ノーフォークで大西洋に注ぐ雄大さで、サンフランシスコのベイエリアとは全く違う景観との初対面となりました。

バージニア州リッチモンドの風景(Getty Images)
バージニア州リッチモンドの風景(Getty Images)

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