今日も明日も明後日も……無反応の私に声をかけ、となりに居続けてくれる人
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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特別養護老人ホームは、私のうち。
ここで私はいちにち、静かに過ごす。
認知症が進んで、言葉も表情もなくした私に、
おしゃべりをしにくる人など、
ほとんどいないから。
今日も、明日も明後日も。
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そんな私にも、
毎日、話しかけてくる人がいる。
「いい天気ですね」
「夕飯はカレーらしいですよ」
「お風呂、気持ちよかったですか」
私はぼんやり、聞いている。
あいづちも打たずに。
もちろん、笑顔も返さずに。
——でも、確かに聞いているのよ。
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その人は今日も、たわいもない話をしてくる。
そうしても、私に無視されているような気持ちになるだろうに……。
私のいとなみを守るように、となりに居続ける。
きっと、明日も明後日も。
せわしない介護現場に、ふと、空き時間が生まれるとき。
おしゃべり好きな、明るい高齢者のまわりに、
介護職員の輪ができてしまうことがありました。
もちろん、その輪のひとりが私の場合もあり、
「これは、いけない」と職員同士で目配せし、うつむいたこともありました。
なぜなら、そんな落ち着いた時間にこそ、
普段、コミュニケーションが不足しがちな方のそばにいる必要があることを
介護職員は、わかっているからです。
例えば、認知症が進んで話せなくなってしまったり、
ベッド上で寝たまま過ごされたりしている方などが、そうでしょう。
それでもなぜ、介護職員が、
見て見ぬふりをしてしまうことがあるのか。
それは、感情の問題です。
コミュニケーションがとりづらい方と、食事介助など一連の介護ではなく、
ただ話そうとするとき、
多かれ少なかれ、介護職員は緊張を強いられます。
話しかけてもご本人の返答がないまま、コミュニケーションを続けるのは、
想像以上に難しいものです。
となりで自然な関わりをしながら、居続けられる人など、ほんの一握りでしょう。
話さない相手に、不自然な関わりしかできない自分のふがいなさ。
そこに落ちこんだ経験がない、介護職員がいるでしょうか。
でも、それでいいのかもしれません。
不自然になってしまう自分に向き合いながら、
たわいのない会話を続けて、
誰かの心やいとなみを守ろうとするその姿を、
笑う人など、きっといないのだから。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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