認知症になっても買い物を楽しみたい スローショッピングをみんなで支援
2025年には認知症の人が約700万人になると予想されています。近所のスーパーやコンビニ、スポーツジムや公園、交通機関にいたるまで、あらゆる場面で認知症の人と地域で生活を共にする社会が訪れます。少しずつではありますが、認知症の人の思いや立場を尊重した独自の取り組みが個人商店や企業、自治体で始まっています。各地に芽吹いた様々な試みをシリーズで紹介します。
木曜日の午後1時前、岩手県滝沢市の住宅街にあるスーパー「マイヤ滝沢店」のイートインコーナーに続々と人が集まってきました。この日は、2019年から滝沢店が毎週行っている、認知症の人が自分のペースでゆっくりと買い物ができる「スローショッピング」の実施日です。集まったのは地元の社会福祉協議会、地域包括支援センター、看護師、「認知症の人と家族の会」の会員や「やまぼうしネットワーク」のメンバーたちです。やまぼうしネットワークは、認知症サポーターを中心に結成され、スローショッピングの時には、認知症の人の買い物をサポートする「パートナー」の役割を担います。
みんなあいさつを交わしながら、書類、血圧計や体温計などをあわただしく取り出しテーブルの上に置いていきます。スローショッピングは、これまで150回近く実施されていますが、この日も関係者が慌ただしく準備に追われていました。
そうするうちに、買い物客の認知症の人もイートインコーナーに続々と集まってきました。ネットワークのメンバーとあいさつを交わす人、買い物客同士でおしゃべりを始める人であふれ、狭いイートインスペースはちょっとした集会場に様変わりしました。そして午後1時を過ぎると、認知症の人は次々にパートナー2人と一緒に、カートを押して売り場に向かっていきました。
スローショッピングを発案したのは、滝沢市で「こんの神経内科・脳神経外科クリニック」を開業している医師の紺野敏昭さん(74)です。「買い物、ショッピングは誰にとってもワクワクするイベント。ところが認知症になって、買い物に行かなくなる人が多い」と、課題を指摘します。例えばレジで支払いの時にモタモタしたら嫌な顔をされた。商品の数が多すぎて何を選んだらいいかわからない。お店の人に聞こうと思っても忙しそうにしているから遠慮して聞けない。自分は他の買い物客の邪魔になるのではないか、と考えるようになって買い物に行くのを止めてしまう――そうしたことが背景にあると言います。
また、家族の声としては、「同じ物ばかり買ってくる」「支払いをせずに出てしまったり、商品をひっくり返してしまったり、他人に迷惑をかけるのではないかなどを心配だ」などがあり、結果として認知症の人が買い物に行くことを止めたということも多くみられます。
日常生活での買い物という大切な家事行動を通して何十年と家族を支えてきた主婦の女性は、「認知症になって自分は家族の役に立たなくなったのかな……と思い込んでしまう」と、紺野さんに気持ちを説明してくれたそうです。
そしてある時、この女性に「もう一度買い物に行ってみたくないですか?」と聞いたそうです。答えはもちろん、「もう一度行きたいです」でした。
紺野さんは「何十年も主婦業をやってきたのですから、行きたいに決まっています。それなら買い物のハードルをゆるくしてあげる。そうすることで認知症になって、できなくなったと思い込んでいた心の縛りから解放されて力がよみがえる。認知症の人の生活を変えることができるかもしれないと、5年前ぐらいからなんとなく考えていた」と話してくれました。
そして、紺野さんは実現に向けて動き出します。2019年2月、岩手県内を中心に18店舗を展開している中堅スーパー、マイヤの会長に「認知症の人の買い物支援の取り組みをスーパーという場で実践したいのですが、相談にのっていただけませんか」と直接電話を入れたそうです。翌月に会長、社長、執行役員と滝沢市地域包括支援センター、滝沢市社会福祉協議会も同席して面会を果たし、会長も紺野さんの提案を快諾してくれました。紺野さんは「成功する確信は無かったけど、希望はあった」と当時を振り返ります。
マイヤの会長の鶴の一声で始まったプロジェクトですが、マイヤ側で担当することになったのは面会にも同席していた執行役員の辻野晃寛さん(52)です。辻野さんはマイヤ全店の店舗運営の責任者です。面会から1カ月後には早くも「認知症になってもやさしいスーパープロジェクト」がスタートしました。辻野さんをはじめ、地元医師会、社会福祉協議会、地域包括支援センターや認知症の人と家族の会などのコアメンバーがミーティングを重ねていきました。
なかでも辻野さんが気を使ったのは、特定の団体や組織に負担がかかりすぎないようにすることでした。このプロジェクトを一時のブームで終わらせたくないし、継続させることが重要です。例えば、買い物客と一緒に店内を回るパートナーにマイヤの従業員を参加させてしまうと、マイヤとしてはマンパワーに負担がかかり継続が難しくなる。マイヤは専用レジやイートインスペースの提供というハード面の提供はする。一方で社会福祉協議会や地域包括支援センターの職員には、パートナーの育成などのソフト面を担ってもらい、社会資源の利用などの相談に応じる。認知症の人と家族の会は家族からの認知症に関する相談を担い、紺野さんや地元医師会は当事者をケアする……。こうして各団体や組織がそれぞれ無理のない負担を担う形ができあがりました。
ミーティングを重ねるなかで一番議論になったのは、認知症の人に特化したサービスでいいのだろうか、ということだったそうです。「もっと幅広く、高齢者や障害者など、生活に不自由を感じている人を対象にすべきでは」という意見も出ましたが、「認知症になっても」という備えについて地域住民に広く啓蒙(けいもう)していく中で、多くの人がこのプロジェクトに含まれる、ということをコアメンバーが確認して2019年7月11日のスローショッピングの開始を迎えることになりました。
滝沢店ではちょうどこの時期にリニューアルを計画していたので、スローショッピングに合わせて、店内各所に高齢者に親切な仕組みを取り入れることができました。天井からぶら下がる商品案内の看板は普通より低い位置にあります。下を向いて歩くことが多い高齢者のために床にも商品案内を貼っています。またショッピングカートにはメモを挟むことができるバインダーが特別に取り付けられました。もちろん、20~30人いる従業員もほとんどが認知症サポーター養成講座を受けています。
筆者も買い物に来た高齢の女性客(75)とパートナーの夫婦に同行して店内を回りました。女性客は滝沢市内で一人暮らしをしていてMCI(軽度認知障害)と診断されています。「今日の晩ご飯は餃子」ということで、材料を買いにきました。途中、鮮魚売り場で活きの良いイカを見つけ手に取ると、パートナーの男性が「おいしそうだね。煮付けとかいいね」と言い、調理方法を説明していました。紺野さんによると一人暮らしの女性は閉じこもりがちだったそうです。「地域包括支援センターに相談に行ってみませんか」と促してみましたが断られ続け、「それならスローショッピングはどうですか」と誘ったそうです。女性は買い物の途中で「漢字は書けるのにひらがなは忘れやすいのよ」と笑っていました。そして「買い物より、ここでみんなと会えるのが楽しい。いろいろ話をしたら元気になる!」と話してくれました。
すべてが順調に進んでいるように思えるスローショッピングですが、課題は買い物客の「足」の確保です。地方では移動手段はマイカーに頼らざるをえません。マイヤでは2022年度は経産省の補助金を受け取っていて、毎回約10人分のタクシー代の一部は補助金から捻出しているそうです。それでも約半分はマイヤが負担しています。「なぜそこまでしてやるのですか」との疑問に対して、辻野さんは「認知症の人を排除したらお客さんの母数が減ってしまいます。都会と比べて地方での人口減少は著しい。買い物客も当然減少していくでしょう。そういう状況のなかで、マイヤを選んでもらうための先行投資です。私たちのスーパーに付加価値を付けているのです」と答えてくれました。マイヤでは滝沢店を皮切りに県内の3店舗で同様の試みを始めています。
辻野さんは、認知症のお客さんについて、以前は、店側の視点で『困った客』と見えていたと言います。けれど「いまは(助けを求めている)『困っている客』と見られるようになりました」と笑っていました。この意識の変化こそがスローショッピングの理念を物語っているのだと思います。
約3時間の取材を終えて感じたのは、マイヤでの取り組みは一企業の枠を超えた「地域づくり」につながる素晴らしい試みではないか、ということでした。パートナーのなかには認知症の当事者もいます。「支え手」「受け手」という枠組みを超えて、地域住民や地域の多様な主体が参加し、人と人、人と資源が世代や分野を超えてつながることを目指す「地域共生社会」のひとつの形を見た気がしました。