「私は母を殺しました」ある家族の告白 認知症と生きるには46
大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。
これまで2年間、「認知症と生きるには」というテーマで、社会に生きる私たちが認知症という病気にどう対応すればよいか、症状や対応をコラムに書いてきました。今回この「認知症という病気をどのようにとらえるか」について執筆したシリーズは一区切りを迎えます。コラムは続きますが、少し視点を変えて、家族がはじめて認知症と出あった時に、どう自分のこころと向き合うか、支援職がはじめて認知症の人の担当になった時にどうするか、そして自分が認知症になったときに病気や人生に向けてどう向き合うのかといった課題について書こうと思っています。さて、今回は家族会の代表の話です。
家族の鑑のような代表が…
もう10年以上のお付き合いがある家族会代表の方で、森本康子さんという女性(仮名、45歳)がいます。彼女は家族会代表として、介護している家族のこころが崩れないように支え、認知症当事者の気持ちを理解して悩みを聞き、その人に合ったケアの方法、施設などの相談にのる日々を過ごしています。
私がこれまでに出会った数多くの家族会メンバーの中で、森本さんほど当事者や家族の気持ちを理解している人はいませんでした。当事者が悩んでいる時には、その辛さに共感し、安心できるように声をかけてくれます。家族が対応に困った時には、そのことを責めるのではなく、どうして家族がそこまで追いつめられるのかを理解してくれます。自分の経験を生かしているためなのかもしれませんが、わかりやすく説明してくれる森本さんは、私のような医師にとっても頼りがいがある家族会の代表でした。
その人が漏らしたひとこと
そのような親しみが手伝ったためでしょうか、ある日、「認知症を理解する地域フォーラム」の講師として彼女と私が招かれ、出番を待つ楽屋で私は彼女に声をかけました。
「森本さんは誰の悩みにも適切にこたえる経験と知識があって、医者の僕も安心できる支援者ですね」と。
当然、彼女のいつもの愛想良い笑顔が返ってくるものと思っていたのですが、目に飛び込んできたのは森本さんが泣き崩れる姿でした。
「ど、どうしました?」としか言ってあげることができず、「出番直前に泣きだされて、彼女の講演がむちゃくちゃになる」という思いが頭をかすめましたが、もう、どうしようもありません。
彼女はしばらくして泣きやむと、「私、母を殺しました」と衝撃的なひと言を発しました。
とんでもない展開です。ほんの軽い気持ちの会話のつもりが、思ってもみない方向の話を引き出すなんて…。しばらくして彼女がぽつりぽつりと話し始めました。
自分の怒りが引き起こしたこと
- 私、3年にわたって認知症の母を介護した経験があります。もう15年前の話です。何度も同じことをくり返し聞いてくる母にいら立った私が少しきつい言い方をすると、母は怒りを込めて私の幼かった時のふるまいを責めてくるのです。
病気でそのようなことになるのだから辛抱しなければならないと頭の中ではわかっていても、何度か同じやり取りをくり返すと私のこころが破綻してしまい、いけないとわかっていても「うるさい」と怒鳴りつける毎日でした。
思わず「自分でできることはしなさい。何でも人にさせるなんてバカなんじゃないの」と言ったこともあります。そうした振る舞いは決して夫や娘には知られてはならない秘密でした。
そのようなことが何度も起きたある日、仕事で遅くなった夜、母が一人住まいをしている実家に立ち寄り、玄関に入ると、水が流れる音が聞こえてきました。
「また、水を出しっぱなしにして」と声をあげてとがめようと風呂場に入った瞬間、私の目に飛び込んできたのは浴槽に水をためようと前かがみになり、頭から浴槽に沈んだ母の姿でした。引き上げた時にはもう冷たくなっていました。わたし、あの時の母の死に顔を何年たっても忘れることができません。
講演会の時間が迫ってくるなか、泣きながらすべてを話してくれた森本さんに何か声をかけたくて、「その経験があったからこそ、森本さんは家族会のみんなを力づけることができるのでしょうね」と言うのが精いっぱいでした。
それでも生きていく意味は
- ここ何年も私は自分が母を殺してしまったと思いながら生きてきました。おそらく生きている限り、この思いは変わらないでしょう。母はお風呂のお湯を入れることができなくなっていたはずでした。私があの時、「できることはやれ」とさえ言わなければ、母は浴槽に落ちて溺れることはなかったでしょう。私のような間違いがくり返されないように、私は認知症の家族会を続けています。
松本先生は精神科医ですよね、それなら答えてくれますか。こんな私が家族会をやっていて許されるのでしょうか。私、自分の罪から逃げるために家族会を利用しているのでしょうか。そもそもこんな私が生きていて良いのでしょうか。
私にも正解はわかりません。でも、森本さんに言ってあげられるたった一つの言葉は、「われわれは介護経験の失敗を後悔する仲間だ」ということです。
認知症に限らず介護の日々を過ごすときには、100の成功があれば100の失敗があります。苦難を乗り越え「とにかく今日のところは無事に過ぎた」と思い、時に取り戻すことができないほどの失敗をしても「善きこころ」を持ってケアしようとした、かけがえのない時間でした。
認知症は難しい病気です。介護を続ける中で間違いのない人などいません。たとえ涙の日々でもユダヤ人強制収容所の中でさえ人生を肯定的に見ようとした精神科医のフランクルのように、暗闇のはざまにかすかな光を見いだすことができるかもしれません。
大切なのは、ともに生きる力を与えてもらえる人の存在です。森本さんがみんなの力になってくれるように、私も森本さんの苦しみを分け取りましょう。その代わり、妻の介護で私が疲れた時には支えてください。
介護は生きること。生きることは問われること。お互いに支えあいながら「人生にイエスと言える」日が来る希望を捨てることなく、日々を生き抜いていきましょうね。
次回から家族の認知症が心配な人へのコラムを始めます。
※このコラムは2019年3月1日に、アピタルに初出掲載されました