大切な人を守るために 運転からの「勇気ある撤退」を 認知症と生きるには56
大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、ご本人の自尊感情を守りながら、認知症の人に運転免許の自主返納をどのようにすすめていけばよいのかについて、紹介します。(前回はこちら)
事故への不安
高齢者による自動車事故は連日のように報道されています。悲惨な事故も数多く、誰に聞いても「自動車運転の能力がなくなった人に運転を許すのはもってのほか」と言います。当然の意見だと思います。でも一方で認知症になるとすぐに運転ができなくなるのではないという意見もあります。私は運転免許をもって自動車の運転をしたことがないので、どんな判断が適切なのか迷ってしまいます。
でも、家族が認知症に気づいているのにもかかわらず、本人だけが「おれは体力と運転だけは自信があるんだ」と言い張って運転を続ける場合、さて、どうしましょう。
もう一方の面から考えなければならないのは、本人が持っている自尊感情にどう対応するかです。たとえ認知症の診断がおりたとしても、その診断だけを優先するあまり、当事者のショックや自尊感情を無視して、とにかく免許証を取り上げてしまうことにも家族として抵抗感があるはずです。
もちろん法律では、75歳以上で専門医療機関で認知症の診断を受けた場合には免許証を持てません。
一方、かつて私の外来で運転ができる人に対して「もうだめです」と通告したところ、落胆して急激に悪化した人もいます。いつの時点でどう告げるかが最大の悩みなのです。
誤って急発進
かつて妻と共に私の診療所を受診しにきた、インテリアショップ経営のAさん(76)のお話を紹介します。Aさんは血管性認知症とアルツハイマー型が混在した認知症になっていました。
「大変残念ですがAさんはとっさの判断力が低下しているため、今後の自動車運転は控えてください」と告げる私に、彼は「それは先生の誤診です。私は今でもインテリアの店を経営できています。しかもその店まで自動車を運転して通っていますから、先生の言っていることには納得がいきません」と言い張って、こちらの意見を聞いてくれませんでした。
妻はうすうす感じていました。なぜならAさんの運転で外出するときに、慣れ親しんだはずの自宅からの経路を、彼がこの1年の間に3回間違えて、一方通行を反対に走ろうとしたことがあるからです。
妻も、そしてそのことを聞いていた息子や娘も「お父さん、せっかく店も大きくして幸せな毎日を送っているのに、つまらない事故でこれまでの努力が水の泡になる危険を冒すことはやめよう。タクシーに乗ろう」と言ってくれましたが、Aさんは「おれは運転そのものが好きだ。たった一つの趣味と言える運転を取り上げる気か」と気色ばんでしまいます。
そんなある日のことでした。Aさんは自分の店の前に止めてあった車を発進させようとして、ショーウィンドーに向かって車を突進させてしまいました。ブレーキのつもりでアクセルを踏み、ショーウィンドーに向かって止めてあった車が突っ込みました。
しかも悪いことに従業員にけが人が出ました。初めての大きな事故で店を大破させ、しかも大切な人にけがをさせてしまいました。彼の落ち込みようと、その後の急激な自信喪失はAさんを「引きこもり」に陥らせ、その後、彼の症状は半年もしない間に急激に悪化してしまいました。
勇気ある撤退へ
Aさんがグループホームに入居した後、妻と子どもたちが私に会いに来てくれました。その際、家族はとても落胆した様子でしたが、それ以上に気になったのが「自分たちを責めていた」ことでした。まるで家族があの時に運転を止めなかったため、Aさんが悪くなったかのように自分たちを責めていました。家族のせいではありません。むしろ反省すべきは私が適切な指導を行えなかったことです。
このような悲劇を防ぐにはどうすれば良いのでしょうか。Aさんへの反省を込めて私は同じような患者さんに対して「認知症だから運転はできない」という告知ではなく、「このような脳変化があるから、以前のように機敏な対応がしにくく、事故になりやすい」と説明して、自発的な免許返納を促しています。
難しいことです、長年の運転をやめて免許を自主返納することは。それでも返納を促すのは、交通事故の悲惨な結果を知っているからです。「自分は大丈夫だろう」と人は思いがち。「自分にだけは起きるはずがない」と思いながら、人は大事故を起こしてしまいます。人生を精いっぱいに生きたからこそ、高齢になってから後悔する危険を冒さないでください。どうぞ、自己決定ができるうちに、「あえて運転をやめる」という、勇気ある撤退を考えてくださいね。
<Aさんのエピソードは複数の患者さんの話も含めて構成しました>
※このコラムは2019年12月20日に、アピタルに初出掲載されました